それってあなたの認識ですよね。
~これまでのあらすじ~
- 死体蹴り
- JAP
- 誕生日
①「死体蹴り」を煽りと捉えるか遊びと捉えるかは、認識の問題だし。
②「JAP」を差別用語と捉えるか略語と捉えるかは、認識の問題だし。
③「誕生日」を祝いと捉えるか呪いと捉えるかも、認識の問題であり、
というわけで本記事は、ここ最近扱った3つの例をまとめた手抜き記事幸福論です。
「手抜き」を悪いと捉えるか、良いと捉えるかも認識次第。
では以下目次です。
「死体蹴り」を煽りと認識する不幸な人
~「死体蹴り」は侮辱か遊びか~
死んじゃったショックでマナー講師に転生したの?安田尊@死体蹴りを謳うブログ。こんにちは、先月の記事で、【死者に鞭打つ】生者への批判は許されて死者への批判は許されない?「死者に鞭打つ」「死体蹴り」をネタにしました。~これま[…]
↑ここでいう「死体蹴り」「死体撃ち」は、対戦ゲームにおける用語を扱っています。
ゲームであれば、プレイヤーは自分の死体が足蹴にされたり、銃撃されたりする場面を目撃できます。
そして、自分の死体が蹴られれば不快感を覚えたり、相手に抗議したりするわけですが、
死体蹴りが、煽りや侮辱と見なされるから?
でも、だれが死体蹴りを煽りや侮辱と見なしているんでしょうか?
自分が初めてプレイした対戦ゲームで、自分が初めて敗北を喫して、自分が初めて死体蹴りや死体撃ちを経験したとき……、
私が記憶している限りでいえば、対戦ゲームには楽しかった思い出しかありません。
そりゃあ負けたときは悔しいにしても、だから次は勝ちたい、次は勝つからさっさと次の対戦をやらせろ……!
そういう気持ちでいっぱいで、つまり「悔しい」は「楽しい」に含まれているんですが、
おかしいな……もしも本当に死体蹴りが煽りであり侮辱なら、私はショックを受けて心の傷を負って、心の傷は治せないというから一生覚えていてもおかしくないはずなのに……。
マジで初めて受けた死体蹴りなんて、まったく覚えていません。
「煽り」とか「侮辱」とかいう以前に、「死体蹴り」をいつ認識したのかも覚えていないし、
客観的に見れば、勝負が終わったあとに攻撃をしても意味はないんだし、ただ意味もなく暴れているバカにしか見えません。
いや、「バカ」というのは現在の私の認識であって、当時の私はせいぜい「遊んでいるな~」ぐらいにしか思っていなかったでしょう。
まあ古い記憶なのでなんともいえませんが、では新しめの記憶を引っ張り出してみると、
~FPSゲーム『Apex Legends』~
ソース:【APEX】フィニキャンで煽られて頭がイカれる粗品【粗品切り抜き】 – YouTube(粗品公式) – 2023年9月30日閲覧。
本来「フィニッシャー」は、ダウン状態の敵を確殺(確定キル)するためのスキルですが、状況に応じてキャンセルも可能になっています。
そこでフィニッシャー⇒キャンセルを高速で繰り返すことによって、フィニッシャー用の特殊ムービー冒頭を相手画面に連続再生させることができるわけですが、
私が初めてフィニキャンを受けた感想はこれだけです。
いや、物理的に目に悪そうだから、やめてほしいんだけど……とは思いましたが、別にそれも見なければ済む話だし……。
感想は、目が乾燥しそうってことぐらいで、精神的苦痛で顔真っ赤とか顔真っ青とかには全然ならなかったし(ずっと見ていたら目は充血したかもしれないけど)、
ってだけですよね。
フィニキャンを受けている時点で状況的に死んだも同然だし、ただ自分は死んで画面がチカチカしているという事実があるだけ。
相手がどういうつもりでフィニキャンをしているのかなんて興味はないし、
それなのに、みんなが「それは煽りだよ」「侮辱だよ」という不幸な認識を教えてくるから……。
粗品さんのようなインフルエンサーが、「頭がイカれる」「屈辱」だと感化してくるから……。
不幸者の価値観を植え付けられるから、
でもそれって、煽りというなら、他人の不幸な認識に煽られているだけ。
他人が不幸な認識を持っているからって、自分がその不幸に巻き込まれる必要はありません。
他人が「死体蹴りは煽りだよ」と認識しているからって、自分がその認識に煽られる必要はないんだから、
「ジャップ」を差別と認識する不幸な人
~「JAP」は差別用語か略語か~
ジャップの語呂の良さは異常。安田尊@日本人を謳うブログ。こんにちは、私は京都生まれ京都育ち京都市民、両親も祖父母も京都で生まれ育った日本人であり生粋の日本人です。~これまでのあらすじ~安田尊@アメリカ人を謳うブロ[…]
私は生粋の日本人ですが、マジで人生で1度も「JAP」や「ジャップ」にイラついたことがありません。
海外の掲示板で外国人のガチ「Jap」は何度も見ているし、日本人コミュニティなのに「ジャップ」を連呼している匿名掲示板も知っていますが、やめてほしいと思ったことすらありません。
第二次世界大戦あたりでアメリカ人が日本人差別の文脈で使用していたとかいわれても、
って話だし、いつまで大昔の話を引きずってるんだよとしか思いません。
いや、戦争を知らない世代だからって、戦争の知識がないわけではありませんが。
第二次世界大戦といえば、もちろんヒロシマ・ナガサキに落とされた原爆のことは知っているし、
でもみんな、そんなことは忘れて、謝罪を要求しまくったりしていないわけじゃないですか?
戦争のことは忘れて、アメリカの文化を受け入れ、アメリカ人と仲良くやっていますよね。
まあそれは仕方がありません、いくら「ヒロシマ」「ナガサキ」を連呼しようが、当時のヒロシマ・ナガサキを生きた人間はもうほとんどいないんだし、
第二次世界大戦のノリで、直接「JAP」とバカにされたり、差別されたりした被害者はもうほとんどいないのに。
現代人が、第二次世界大戦のノリで「JAP」とバカにしたり、バカにされたりすることはもうないのに。
ただ「差別用語です」と教えられたからって、どう見ても一般的な略語の法則にしか当てはまっていない「JAP」を忌み嫌うって、
「JAP」は差別用語だから怒るべし、そう刷り込まれてそう認識しているから怒っているだけで……。
よくよく考えてみれば、自分が怒る理由も必要もないんじゃない?
理由も必要もないのに怒っている、怒らされている、空気や同調圧力の手のひらで踊らされている、
これは私の認識ですが、「怒りっぽい人」とか「いつもイライラしている人」は、どれだけお金を持っていても社会的地位を築いていても不幸です。
幸せに生きる方法を考えた人が、「いつも笑顔でいましょう」とはいっても、「いつも怒り顔でいましょう」とはいいません。
では「JAP」の3文字にいちいち不快感やストレスを感じている人間は、どれだけ不幸なんでしょう。
- JAPは差別用語
- JAPは略語
でもその不幸からは、ただ①「差別用語」だと認識するのをやめるだけで脱却できます。
②「略語」だと認識すれば、いちいち「JAP」に目くじらを立てることもない。
なんなら自分から笑顔で「I’m JAP!」ぐらいの自己紹介はできるようになるんだから、
「誕生日」を区切りと認識する不幸な人
~「誕生日おめでとう」は祝福か呪いか~
誕生日と聞けば思考停止で祝っていませんか?安田尊@雑談を謳うブログ。それは私が初対面の人と当たり障りのない雑談という名の「敵じゃないよ」「怖くないよ」アピール合戦をしていたときのことでした。~雲ひとつない青空を見上げて~[…]
それが音声であれ文字であれ、表現に認められる事実は、その音が鳴ったり字が書かれたりしたというだけ。
その音や字に込められた意味は、事実ではなく認識です。
たとえば29歳独身女性が、次の誕生日を迎えたときにこんなメッセージを受け取ったとします↓
~三十路記念パーティ~
- 祝い
- 呪い
- 期待
①「30年も生きていてエライ!」という認識で受け取れば、お祝いのメッセージになるし。
②「30歳独身負け犬でワロタw」という認識で受け取れば、呪いのメッセージになるし。
③「参議院議員に立候補する?」という認識で受け取れば、政治的メッセージになります。
それなのに、自由自在な認識のなかから、わざわざ②「呪い」を選んで呪われる人が不幸になります。
ではなぜ②「呪い」を選ぶ人がいるのかというと、知識が足りていないからです。
③「参議院議員に立候補する?」という認識を得るためには、「参議院議員の被選挙権は満30歳から」という知識が必要です。
- 祝い
- 呪い
もしも選択肢がふたつしかなければ、①「祝い」ではなさそうと感じた時点で、②「呪い」を受けるしかありません。
最初から②「30歳独身女は負け犬ですよ」という呪いの知識しかなければ、ただ呪われているしかない。
本当は③「期待」④「心配」⑤「打算」、いろいろな思いが込められるだろうし、
でも世の中には、なんの意味もない音声や文字だってあるのだという知識がなければ、常になんらかの意味を探してドツボにハマってしまう。
そもそも十進法の知識に囚われているから、30歳をなにか特別な年齢だと認識しているだけで……。
十進法で考えれば10,20,30……が区切りなのかもしれませんが、
- 3歳
- 5歳
- 7歳
①②③「七五三」は2年置きに祝うんだから、29歳の次の区切りは31歳。
たしかに29歳と31歳で考えれば、まあ違うかな? って感じ。
でも29歳と30歳なんてだいたい同じなんだし、冷静に考えれば年齢が1個上がっただけでなにを大騒ぎする必要があるの?
七五三の由来は健康祈願で、元々は①「3歳まで生きられてエライね~」②「5歳まで生きられるなんてスゴ~イ!」③「7歳はもう神」みたいなノリでした。
じゃあ30歳は?
最近疲れきった大人が、SNSとかで冗談半分ネタ半分で「生きているだけでエライ!」と慰め合っていますが、
本気でそう認識していれば、やはり「誕生日おめでとう!」は祝いのメッセージなのです。
その誕生日を迎えた人間が、何歳であれどういう状況であれ、世の中には1歳の誕生日を迎えることすらできない人間がいる。
いや、生まれることすら叶わず、流産したり死産したり中絶させられたりする赤ちゃんがいるなかで、
そう認識すれば、1年ごとにしか自分の人生を祝わないことのバカさ加減に気づけるかもしれません。
あるいは反出生主義の知識を仕入れれば、流産したり死産したり中絶させられた赤ちゃんこそが勝ち組で、この生き地獄に生まれてしまった人間こそ負け組だ……と絶望することも可能ですが。
知識によって自由を獲得すれば、もちろん不幸になる自由も責任も負うわけですが、まあそんな感じのことに気づいた哲学者サルトルはこう言い放ちました。
~哲学者サルトルの名言~
サルトルは人間の行動に関してそういっていますが、人間の認識にも同じことがいえます。
私たちはすべての事象を自由に認識することができて、その全責任は自分が負います。
つまり幸せな認識で生きるも自由、不幸な認識で生きるも自由、自分が自由だと認識するのも不自由だと認識するのも自由を刑罰だと認識するのも自由であり、
まとめ:それってあなたの認識ですよね
- 「死体蹴り」は死体が蹴られているだけであって、煽りと捉えるか遊びと捉えるかは認識次第
- 「ジャップ」は「ジャパニーズ」の省略であって、差別と捉えるか略語と捉えるかは認識次第
- 「誕生日」って、冷静に考えてなんで年1で祝うのか謎だし、毎日祝うも毎日呪うも認識次第
以上です。
ゲームにおける煽りといえば、「死体蹴り」「死体撃ち」のほかに「屈伸煽り」もあります。
~屈伸煽り(格ゲーの例)~
たとえば私がプレイしている格ゲー『ストリートファイター6』は、死体蹴りに関してはオーバーキルぐらいしかできない仕様になっていますが、屈伸煽りはやりたい放題です。
おまえは気絶中でまな板の鯉、こっちはストレッチしちゃうぐらい余裕だぜ~って煽りなわけですが……。
でも私は死体蹴りと同じで、屈伸を連打されてもまったく煽りだとは感じません。
可愛いとか滑稽とか面白いとは思っても、侮辱だとか怒りだとかストレスだとかはまったく感じません。
世間的にはバッドマナーとされていますが、それは世間がそう認識しているだけで、私の認識ではない。
以上、ひろゆき風にいえば、それってあなたの認識ですよね。