日本昔話『うばすて山(姥捨て山)』とは、
生きる価値がなければ、野垂れ死ぬしかないことを謳った残酷物語
です。
「生きる価値」といえば、
人間は、生きているだけで価値がある!
的な言説がありますよね。
しかし、はたして本当にそうでしょうか?
イヌは、人間に従順なら生きる価値がある
ネコは、愛くるしければ生きる価値がある
ホトトギスは、鳴くなら生きる価値がある
と、動物はそれぞれ「生きる価値」を示して生き残っています。
なのに、
ヒトだけが、生きているだけで価値がある……?
否。
『うばすて山』にいわせれば、人間もまた、生きたければ「生きる価値」を示さなければなりません。
本記事では、
- 日本昔話『うばすて山』の簡単なあらすじ
- 日本昔話『うばすて山』から得られる教訓
- 老害になりたくない現代人に伝えたいこと
以上を解説します。
では以下目次です。
日本昔話『うばすて山』の簡単なあらすじと要約
日本昔話『うばすて山』の要約は、生きる価値がなければ、野垂れ死ぬしかないことを謳った残酷物語です。
以下ではもう少し詳しく、『うばすて山』のあらすじを見てみましょう。
なお、昔話にはバリエーション(伝承の過程で細部が変化した話)がいくつもあるため、以下はそのうちのひとつとお考えください。
~うばすて山~
むかしむかし、還暦(60歳)を過ぎた年寄りは役立たずなので、山に捨てる掟のある国がありました。
要するに、老害は他人を介護地獄に落とす前に、山で孤独死してくれ、というわけです。
その老人を捨てる山のことを、「うばすて山」といいました。
「うば」とは「姥(うば)」のことであり、「姥」は「女+老」と書くように、年老いた女や老女のことです。
その「姥」を「捨て」る「山」だから、「姥捨て山(うばすてやま)」といいます。
さて、そんな「うばすて山」の国に、母と息子がふたり仲良く暮らしていました。
しかしその母はもう還暦を過ぎたので、次の日には「うばすて山」送りが決まっていました。
息子は嘆き悲しみ、悔しがり、嫌がりましたが、母は掟に忠実でした。
国の掟を破れば、親子ともども罪を背負わされ、息子に迷惑をかけることになるからです。
そして翌朝、母は息子に自分を背負わせ、「うばすて山」に向かわせました。
その道中、息子は背後で奇妙な音がすることに気づきました。
息子が振り返ると、母が木の枝を折っている音でした。
母はなぜ木の枝を折っているのか……?
息子が訊ねると、母は簡単じゃと答えました。
「木の枝を折って目印にしておけば、おまえが帰り道で迷わずに済む」。
息子は母を捨てようとしているのに、母は息子を生かそうとしている……。
そのことに感極まった息子は、母を捨てることなどできないと決心しました。
それから息子は母を背負ったまま道を引き返し、母の制止も無視して、
親子でだれにも見られぬよう家まで帰り着くと、家の床下に隠し部屋を作り、母を匿うことにしました。
そうして親子が密かに二人暮らしを続けていたある日、息子は「うばすて山」の国からのお触れを目にします。
「うばすて山」の国のお殿様に、隣の大国の大王から、無理難題が届いたそうです。
大王曰く、「灰で作った縄、灰縄を綯(な)ってみせよ。綯わぬなら、戦争だ」。
これには「うばすて山」の国のお殿様も大慌てです。
なぜなら、「灰縄を綯う方法」など、お殿様はもちろん、その周りの者にもだれにもわかりません。
しかも大国との戦争になれば、「うばすて山」の国など、あっという間に滅ぼされてしまいます。
焦った「うばすて山」の国のお殿様は、大急ぎで国中から「灰縄が綯える者」を募集しました。
そのお触れのことを息子が母に話すと、母は簡単じゃと答えました。
「まず硬い縄を綯い、塩水に浸けてよく乾かし、戸板の上で燃やせば灰縄ができる」。
息子が母の答えをお殿様に伝えると、お殿様は大喜びで褒美を出しました。
でもどうしても戦争がしたい隣の大国の大王は、またもや無理難題を出してきました。
大王曰く、「七節曲がった竹筒の穴に糸を通してみせよ。通さぬなら、戦争だ」。
でも母もまた、簡単じゃと答えました。
「曲がりくねった竹の片方の口に砂糖を塗り、もう片方の口から糸を結わえたアリを入れる。アリが砂糖の甘い匂いを求めて出口にたどり着くと、竹のなかに糸が通る」。
息子が母の答えをお殿様に伝えると、お殿様は大喜びで褒美を出しました。
でもでもどうしてもどうしても戦争がしたい隣の大国の大王は、またまた無理難題を出してきました。
大王曰く、「打たずとも音が鳴る太鼓をこさえてみせよ。鳴かぬなら、戦争だ」。
もちろん母は、簡単じゃと答えました。
「太鼓の皮を剥がし、太鼓のなかに熊ん蜂の大群を放り込んで皮を張り直す。すると飛び回るハチたちが皮にぶつかって、太鼓の内側から音が鳴る」。
息子が母の答えをお殿様に伝えると、お殿様は大喜びで褒美を出しました。
でもお殿様は、どうしてこの若者がこんなにも知恵者なのかと、不思議に思って訊ねました。
すると息子は、「うばすて山」の掟を破ったことを自白し、家に隠している母が全部教えてくれたのだと答えました。
「うばすて山」のお殿様は、自分の国を救ったのが年寄りの知恵や知識であることを思い知らされました。
それからまもなく、お殿様は「うばすて山」の掟を廃止することに決めました。
また隣の大国の大王も、「灰縄から、打たずに鳴る太鼓まで作れる国」の知恵に恐怖し、戦争を仕掛けるのはやめることに決めました。
こうして元「うばすて山」の国は、知恵と平和と敬老の国となり、人々は幸せに暮らしましたとさ……めでたしめでたし。
以上が日本昔話『うばすて山』のあらすじです。
ちなみに「姥捨て山」系の伝承で捨てられるのは姥(老女)に限らず、男性の老人が捨てられるパターンも存在します。
日本昔話『うばすて山』に学ぶ人間の生きる価値
さて、では日本昔話『うばすて山』から得られる教訓はなんでしょうか?
人間の持つ最大の価値が、「知恵」であることです。
犬が従順なように、猫が可愛いように、ホトトギスが鳴くように。
人間は、頭脳を働かせることに価値があります。
『うばすて山』で捨てられそうになったおばあさんは、見事に知恵を絞って命拾いをしています。
「木の枝を折って目印にしておけば、おまえが帰り道で迷わずに済む」。
息子が感動したのは、もちろん息子思いの母の愛情がわかったからです。
しかし、その「愛情」は、「知恵」によって表現されていることに注目してください。
いくら母親が、言葉の上で、
おまえは私がお腹を痛めて産んだ子どもだから、この世で一番大切なのだ
と説明しても、それで感激する子どもはあまりいないでしょう。
むしろ言葉で説明されることで、シラけるまであります。
たしかに母親にとって、出産やそれに伴う痛みや感動の経験は、人生観を左右する最大級の出来事でしょう。
でも子どもにとっては、母親の出産はリアルな経験ではなく、言葉の上でしか捉えきれないものです。
そして言葉だけで捉えれば、
お腹を痛めて産んだ
というのは、まるでそこまでして産んでやったのだ、といわんばかりの恩着せがましさすら感じます。
頼みもしないのに勝手に産んでおいて、勝手にお腹を痛めておいて、勝手な独りよがりにもほどがありませんか?
だから大切なのだといわれても、
え……痛かったから大切なの……??
という感じで、イマイチ説得力に欠けます。
でも『うばすて山』の母は、言葉だけで語ることはしませんでした。
むしろ最初は無言で、ただ木の枝を折ることで、息子の無事を祈りました。
息子が振り返れば、そこには折れた木の枝が落ちています。
リアルな木の枝。
息子にとって、「自分を産むためにお腹を痛めた母の姿」をリアルに感じることはできません。
でも、「自分を生かすために木の枝を折った母の姿」はリアルに感じることができます。
だってそこに、触ろうと思えば触れる「折れた木の枝」が落ちているわけですからね。
そして「折れた木の枝」の意味に触れたとき、息子は心の底から「息子思いの母」を実感して感動します。
ここで、一見するとただの「折れた木の枝」に、「意味」を与えたものこそ、
知恵
です。
この知恵が、ただの木の枝に意味を宿しました。
そして同時に、母の生命にも価値を宿しました。
だから息子は、母を生かすことに決めたのです。
灰で編み込んだ縄、灰縄を綯(な)ってみせよ。綯わぬなら、戦争だ
七節曲がった竹筒に、一本の糸を通してみせよ。通さぬなら、戦争だ
打たずとも音が鳴る、太鼓をこしらえてみせよ。鳴かぬなら、戦争だ
と、要求が繰り返される国同士の話では、さらに露骨ですよね。
これらはすべて、一言で言い換えることができます。
無能なら、殺してしまえ、ホモサピエンス
これが人間社会です。
人間に忠誠を誓わないイヌ、人間から見て可愛くないネコ、人間のために鳴かないホトトギス。
そして、人間のために頭脳を働かせない人間は、生かしておく価値がない。
『うばすて山』では、母も国もなんとか、「知恵」を示して助かりました。
でも逆にいえば、母も国も「知恵」を示せなければ、亡くなっていました。
このように、『うばすて山』では一貫して、知恵なき者には死が待っていることを物語っています。
なお、この能力至上主義的な価値観や社会の在り方には疑問や異論や反論もあるでしょうが、
ではその疑問や異論や反論が、「なに」によってなされるのか?
「知恵」ではないのか。
と考えれば、私たち人間にとって「知恵」が必要不可欠であることがわかるはずです。
私たち人間は、自らの学名「ホモ・サピエンス」の名に恥じぬ、「賢い人」「知恵ある人」でなければ生きる価値がありません。
日本昔話『うばすて山』で現代人に伝えたいこと
しかし日本昔話『うばすて山』は、そのまま現代(令和、2021年)にも適用できるでしょうか?
できません。
現代に『うばすて山』が適用できない理由は大きく分けて3つあります。
- 現代では倫理的に、あからさまな「姥捨て」は認められない
- 現代では法律的に、「無能なら、殺してしまえ」も通らない
- 現代では技術的に、「おばあちゃんの知恵袋」も通用しない
以上です。
ただし、
現実的には、どれも現代版にアップグレードして運用可能
です。
なぜ現実的には運用可能かというと、現実に運用されているからです(トートロジー)。
したがって、
私たち現代人も、「姥捨て山」に捨てられたくなければ、「生きる価値」を証明し続けなければならない。
これは綺麗事では語れない、残酷な現実の話です。
ではいかにして残酷物語『うばすて山』が現代に適用されるのか?
現代において「生きる価値」を証明するにはどうすればいいのか?
本項目では特に③『現代では技術的に、「おばあちゃんの知恵袋」は通用しない』を扱いますが、①と②にも軽く触れつつ考えていきましょう。
現実社会でも「姥捨て」自体は起きている
まず①『現代では倫理的に、あからさまな「姥捨て」は認められない』とはいっても、
現実には、孤独死している老人が大勢います。
『うばすて山』との違いは、山に取り残されて独り死ぬか、家に取り残されて独り死ぬか、という死に場所の違いでしかありません。
あるいは実態のよくわからない介護施設や老人ホーム的な場所に放り込まれて亡くなる老人も、
実質的には「姥捨て山」に捨てられた状態
だといえます。
現代日本の超少子高齢社会で、なおかつ経済も衰退している不況社会では、「姥捨て山」の出現は当然の帰結です。
私にも看護業界や介護業界で働く友人知人が複数いますが、彼女たちの口から「姥捨て山」という言葉を聞いたのは1度や2度ではありません。
経済社会では無能は経済的に見捨てられる
次に②『現代では法律的に、「無能なら、殺してしまえ」は通らない』は建前で、
現代では、無能は経済的に殺されます。
あなたは知能が劣っているから、低収入で(時には最低賃金以下で)働いてね。もちろん非正規雇用だよ。将来の保証も夢も希望もないかもしれないけど、まあ頑張って。テレビとかYouTubeとかを見ていれば無料で十分楽しめるでしょ。なんで無料が重要かって、老後資金として最低でも2000万円は貯めておかなきゃいけないからだよ。まさかまさか、年金や生活保護を当てにしていないよね? 恥ずかしい。
↑これって要するに、
無能なら、殺してしまえ
といっているのと同じですよね。
でも現代日本の資本主義社会では、言語化すれば上記のような見殺しの環境が構築されています。
もしも無能でも、年金や生活保護に頼って恥じる必要のない、正規雇用や夢や希望や人間としての尊厳が保てるだけの十分な収入や地位や労働基準法の遵守などを無制限に保証してくれる会社や制度があったら教えてください、きっと日本の自殺者を大幅に減らせることでしょう。
現代版「おばあちゃんの知恵袋」を持とう
最後に③『現代では技術的に、「おばあちゃんの知恵袋」も通用しない』ですが、
新しい技術と組み合わせれば、まだ有用です。
これを希望と取るか、絶望と取るかは、
- 知恵者
- 無能
の分岐点になります。
まず前提として、日本昔話『うばすて山』で描かれるような時代の知恵者は、
「おばあちゃんの知恵袋」的な価値ある情報を持った人間
でした。
でも現代では、「おばあちゃんの知恵袋」は死語となりつつあります。
なぜなら、
「スマートフォン」的な知識増幅装置をみんなが持っているから
です。
そして現代人(特に若者)は、PCやスマホからインターネットを駆使して、
- Googleの検索エンジン
- YouTubeの動画解説
- Twitterの検索機能
などから情報を取り出して、あらゆる問題や悩み事を解決します。
おばあちゃんに訊くよりも、AIに訊いたりSNSで訊いたりしたほうが早い。
「おばあちゃんの知恵袋」よりも、Yahoo!知恵袋やWikipediaのほうが対応範囲も広い。
つまり、
「スマホ」は、「おばあちゃんの知恵袋」の上位互換
です。
しかも、一般的にスマホのような新しい技術に対する適応能力は、老人よりも若者のほうが高い。
となれば、
「おばあちゃんの知恵袋」ごと、「おばあちゃん」も用済み……?
新しい技術に適応できなければ、用済みです。
囲炉裏、背負子、洗濯板……。
しかし、
新しい技術に適応できれば、そこに「おばあちゃん」が生き残るための活路が見いだせます。
スマホは知識増幅装置ですが、0にはなにを掛けても0です。
無知は、自分が知るべき情報をググるための検索ワードすら知らない。
でも「おばあちゃん」なら、それを知っているはずです。
「知識増幅装置」を一番上手く使うポテンシャルを秘めているのは、じつは「おばあちゃん」なのです。
ということは、
「おばあちゃんの知恵袋」と、
「スマホ」を掛け合わせれば、
「スマホを持った若者」にも勝てる部分が見つかります。
たとえば料理なら、
- 「おばあちゃんの知恵袋」を使った料理法
- 料理レシピサイト
- 有名シェフの料理動画
①~③を掛け合わせて料理法に磨きをかければ、①『「おばあちゃんの知恵袋」を使った料理法』だけで作るよりも美味しい料理が作れるはず……ですよね?
その料理は、まだ料理経験の浅い若者がYouTube動画の見様見真似で作った料理よりも美味しいはず……ですよね?
「おばあちゃんの知恵袋」には、レシピや動画では滅多に表現されない、実践でこそ輝く隠された知恵も含まれているはず……ですよね?
ここで「おばあちゃん」が、「まだ料理経験の浅い若者がYouTube動画の見様見真似で作った料理」よりも美味しい料理を作れないのであれば、それはもうマジに用済みです。
だからここでは希望を持って、「作れる!」としましょう。
その付け焼き刃では作れない次元の美味しい料理を作るための知恵こそ、
現代版「おばあちゃんの知恵袋」
です。
なお、「おばあちゃん」は比喩であり、
ぶっちゃけ現代ではすべての成人が競争や淘汰の対象(だけど、特に老人が対象)
です。
また、「料理法」も比喩であり、対象が「実践的な知恵」であれば、
なんにでも応用できます。
もちろん「スマホ」も比喩であり、
重要なのは、古い知恵で新しい技術を使いこなし、新たな知恵へと昇華させる(新たな価値を生む)こと
です。
この本質的な部分さえ理解していれば、スマホさえ洗濯板扱いされる未来においても、「新しい技術」に目を光らせることができます。
「おばあちゃんの知恵袋」を隠し味的に使いながら、新しい技術や知恵と融合させれば、「姥捨て山」も回避できるはずです。
あとは何歳になっても、新しいことに挑戦するだけで「生きる価値」が獲得できる現代に希望を持つのか?
それとも何歳になっても、新しいことに挑戦し続けなければ「生きる価値」を失う現代に絶望するのか?
- 知恵者
- 無能
どちらを選択するかは、自分次第です。
まとめ:無能なら 殺してしまえ ホモサピエンス
それではおさらいも兼ねて、ここまでの要点を3点でまとめます。
- 日本昔話『うばすて山』は、人間の「生きる価値」を謳う残酷物語
- 人間も所詮動物であり、人間の「生きる価値」とは「知恵」である
- 現代は「知恵」の陳腐化が速いため、常に新たな技術の学習が必要
以上です。
なお注意点として、本記事でもたびたび「使う」とか「示す」に類する言葉を用いていますが、
「知恵」は「お金」と同じで、使って示さなければ宝の持ち腐れであり、意味も価値も生みません。
お金や知恵をため込んで、使えないくせに威張り腐っているようなバカは無知無能と同じです。
そう考えれば、
- お金があるだけの人間
- 知恵があるだけの人間
- 生きているだけの人間
など無価値であることがわかるでしょう。
そして最後に、私が『うばすて山』から連想する現代の名ゼリフをご紹介して終わります。
漫画『NARUTO -ナルト-』(作者:岸本斉史)において、大人の先生カカシが、少年であるナルトに言い放つセリフです。
この世界にゃお前より 年下で オレより 強いガキもいる
これは「忍」の世界における力比べの話ですが、あらゆる才能の世界でも同じことがいえます。
「知恵比べ」の世界でも同じです。
2021年4月現在の日本でいえば、
藤井聡太(将棋棋士、史上最年少14歳でプロ入り、史上最年少14歳~15歳で公式戦最多29連勝記録、史上最年少17歳でタイトル「棋聖」獲得、史上最年少18歳で「王位」獲得の2冠など)
の名前が真っ先に挙がるでしょう。
世の中、「自分より年下で自分より優秀な人間」の存在を認めたがらない老害であふれていますが、信じられないくらい優秀な若者は次から次へと出てきます。
ではなぜ年長者より優秀な年少者が現れるのか?
新しい技術を使いこなしているからです。
藤井聡太棋士も、最新のパソコンと将棋ソフトを将棋研究に用いていることを明言しています。
平均的な若者も、藤井聡太棋士ほどではないにせよ、新しめの技術を使いこなしています。
なのに、老人だけが古い知恵と古い技術しか持たないなら、若者に太刀打ちできないのが道理でしょう。
いい歳をした人間が、「姥捨て山」に捨てられたくなければ、年齢に甘えず生きる姿勢が肝要です。
年齢に甘えるなら、「赤ちゃん」や「幼児」に、「老人」や「年寄り」が敵うはずもありません。
その「赤子」ですら、「知恵」が足りないばかりに、間引きをされたり口減らしをされたり、「生きる価値」を認められなかったのは日本の歴史が証明しています(現代でも赤子は中絶されたり置き去りにされたり、死体遺棄されたりしています)。
結論、人間の「生きる価値」とは「知恵」!
以上、『うばすて山』から得られる教訓の解説でした。