ウサギとカメ、で伝わった方は頭の回転が速いので、回れ右してください(これから頭の回転が速いだけの雑魚をディスっていくので、回れ右しなかった結果ダメージを負っても責任は負いかねます)。
思慮深さという武器
さて、頭の回転が速いといえば、一般的には頭脳に対する最大級の賛辞とされていますが、実際には頭の回転が速いだけではそれほど強みはありません。
なぜなら頭の回転が速いということは、多くの場合、リアルタイムでの対応力、すなわち初速が速い、立ち上がりが速い、といった瞬発力を指しているにすぎず、「深さ」を度外視しているからです。
この「思慮深さ」は、往々にして頭の回転が速い人には欠けがちです。
そもそも思慮深く考え込む人は、頭の回転が速いとはいわれませんね。
元来頭の回転が速い人は、矢継ぎ早に課題を解決し、次から次へと思考を切り替えていくがために、ひとつのテーマについて深く掘り下げる習慣が身につきにくいわけです。
でもそこで、
と思われるかもしれませんが、しかし一口に解決といっても、解決の質には及第点から満点まであります。
そして素早いアンサーは、満点よりも及第点に近くなります。
なぜなら、ぱぱっと課題を解決した挙げ句、次々と満点を叩きだす、「頭の回転が速くて深い」化け物がそうそういてたまるかって話です。
知り合いに何人いますか?
人間(化け物は除外)の能力なんて、総合的にはそこまで差がつくものではないので、他者より優れた一面を持つ人は、別の側面から見れば他者より劣っているものです。
ですから頭の回転が速い人は、往々にして課題の乗り越え方が雑だったり、及第点ではあるものの、満点が狙えなかったり、じつは落第点だったことがあとから発覚したりします。
では逆にいえば、頭の回転が遅い人は?
が、しかしそうはいっても、頭の回転が遅い人は、これまで頭の回転が速い人や、頭の回転が速い人を評価する社会に煮え湯を飲まされ続けており、その経験が一種の萎縮を生み、自信を喪失させ、頭の回転が速い人に対して過大評価せざるをえない、端から負け戦を挑むような心境に陥っていることも少なくないでしょう。
頭の回転が速いからなに?
まずは手始めに、電子機器やアプリを例に考えてみましょう。
たしかに起動が速いものは魅力的です。
が、立ち上がりが速いだけで、その後の動作が重かったり、単純な作業しかできなかったりすればゴミですよね?
すなわち、「頭の回転が速い」ということは、せいぜいその最初の一分程度では他者より優位である、という話にすぎません。
しかし頭の回転が遅い人は、その「最初の一分の差」にビビって自分をダメ人間だと思い込む傾向にありますが、
もちろん現実には、最初の一分どころか、最初の一秒以内の速さが勝敗を分ける環境は存在します。
瞬間的な判断が要求されるスポーツや、瞬発的な発想が要求されるフリートークなどがそうです。
が、それなら頭の回転が遅い人は、そうした不利なルールで勝負しなければいい。
頭の回転が遅い人でも、速い人に勝つ戦術を一言で言い表せば、そういうことになります。
といっても実社会では、そんな環境など存在せず、世の中の大半の場面で、頭の回転が速い人のみが優遇され、評価されている……そう感じておられる方も大勢いらっしゃると思います。
でもそのからくりは簡単に説明できますし、その世界が幻想である場合も大いにあります。
兵は拙速を尊ぶ?
では幻想とはどういうことか、なぜ頭の回転が速い人、それもろくに噛み砕けてもいない、反芻もしない、飲み込みが速いだけの雑魚までもが優遇され、評価されているのか?
日本人が大好きな「風林火山」や、「彼を知り、己を知れば百戦あやうからず」といった格言で知られる古代中国伝説の兵法家、「孫子」由来の格言に、
という、丁寧に時間をかけてやるよりも、少々まずくてもいいからスピード重視でさっさとやれ、という意味合いで引用される言葉があります。
もちろん日本人は武田信玄の時代から孫子が大好きですし、しかも勤勉で真面目なので、現代でも孫子のあらゆる兵法をスキルとして取り入れるべく、「孫子」をベースにした実用書やビジネス書籍は十冊や二十冊では利かない数が出版されています。
そんな孫子が、
といっているわけですから、もはや辞書にまで掲載されているわけですから、それはもう、多少拙くてもスピードこそが命であり、頭の回転でいえばなによりも速さが正義というマインドが日本人に根づくのも当然でしょう。
けどそもそも孫子は、
なんてことは一言もいっていないんですよね。
はい、孫子「由来」ではあるものの、孫子は「兵は拙速を尊ぶ」なんて言葉はただの一度も用いていません。
まず孫子は先述したとおり、
と述べている兵法家であり、つまりは下準備を入念に行え、と説いている兵法家であって、そんな孫子が拙速なんかを尊ぶわけがないでしょう。
しかし悲しいかな、現実には拙速を尊ぶ人々によって、「兵は拙速を尊ぶ」という言葉は孫子によるものとされ、いまも信奉されています。
そして多少雑でも頭の回転が速い、その場しのぎが得意なだけのゴミどもがもてはやされ、頭の回転が遅い人は使えない無能扱いを受けているというわけです。
でもそれは早とちりであり、この孫子にまつわる一事をもっても、「拙速」が無能の所業なのは明白ですよね。
頭の回転が速いだけの無能
すなわち、頭の回転が速いだけの無能というのは、
といった格言を仕入れたとき、その格言の意味合いと権威性をうわべだけは理解し、実践するところまでは他の追随を許しませんが、しかし考えが浅いので、
- 「兵」とはなにを意味しているのか?
- 本当に「孫子」が伝えた戦法なのか?
- 現代社会でも通用する考え方なのか?
といった疑念や解答を得るところまでは頭が回っておらず、本テーマについて深く追求しようともしません。
その結果、
などという、的外れ全開なデマを撒き散らしたりもします。
ええ、きっとツイッターなどでデマを撒き散らしている羽虫どももこうした浅はかな脳みその持ち主でしょう。
思慮深さの必要がない環境、たとえば電話で先方の意見を受け付け、たらい回しにするだけの役目などを務めるならそれでもかまわないでしょうし、その環境においては頭の回転が遅い人間よりも役立つでしょうが、所詮は電話番程度の存在でしかありません。
頭の回転が遅い人間には、もっとふさわしい環境があります。
ウサギとカメ
ではここいらでまとめがてら、冒頭に立ち戻って、「ウサギとカメ」について述べますが、なぜウサギがカメに徒競走で敗れたのかといえば、ウサギはなまじ速く走れるがために、走る以外のことをやってしまったからです。
この寓話から得られる教訓は、たとえ頭の回転が鈍くとも、一点突破で絶えず思考を続けることによって、最終的にはあれこれ気を回している雑魚よりも良い結果が得られる、ということです。
そして頭の回転が遅い人には、速い人より、そうする資質があります。
脳みそを大して使わない時給労働や、作業量=成果の単純作業レベルでは頭の回転が速いだけの雑魚が天下を獲っており、頭の回転が遅い人間は煮え湯を飲まされる運命かもしれませんが、そんな拙速を尊んでいるようなアホな環境からはさっさとおさらばして、
で勝負するなど、自分に合った環境を見極めれば、頭の回転が遅い人でも、頭の回転が速い人と渡り合えます。
よって頭の回転が遅い人は、まずはその特質を活かし、だれよりも深く潜り、だれよりも高く上り詰めるべく、自分が勝てる環境やルールについて常に深く考えを巡らせること。
それが最強の戦術です。
当記事では最初に、
と述べましたが、そこで回れ右した雑魚どもの大半は、確実に深い理解には至っていないので、思慮深く立ち止まることができた人であれば余裕で勝てます。
ですからあのロダンの、
の如く、堂々と考え込み、勝利を収めましょう。
そして考える練習として、まずは当記事に書かれている内容が、本当に妥当かどうか……?
じっくり時間をかけて、考え続けてみるといいかもしれませんね。
以上。
DIS IS THE ANSWER.