死体蹴りと、生きた人間を蹴るのと、どちらか選ばなければならないならどっち?
~これまでのあらすじ~
- 「死体蹴り」
- 「死者に鞭打つ」
日本人は自称「無宗教」が多いはずですが、無宗教ならなぜ①②「死者への冒涜」を忌み嫌うのでしょうか?
現実的に考えれば、「死人に口なし」、目も耳もない。
そして法的に考えれば、死人には人権もないのだから、
- りゅうちぇるさん
- ジャニー喜多川氏
本記事では、①②「今月話題になった死者」を例に、死者に鞭打つ言説の是非を検討します。
結論は、死人だろうが生者だろうが、鞭打つべきはビシバシ鞭打つべし。
では以下目次です。
死人に鞭打ち?りゅうちぇるとジャニー喜多川の例
~「死体蹴り」りゅうちぇるさんの場合~
「りゅうちぇるさんの訃報、言葉が出ません。SNSで本人に心無い言葉を直接ぶつけている人もいて、追い詰められていたのだと思う。この期に及んで『自分勝手だ』とか言ってる奴、もうやめろよ。こうなってもまだ叩くのかよ。人の心がないのか? どうか安らかに。心よりご冥福をお祈りします」
ソース:ryuchellさん急死「この期に及んで『自分勝手だ』とか言ってる奴、もうやめろよ」 青汁王子、心無い声に怒り – Yahoo!ニュース – 2023年7月29日閲覧。
さて、りゅうちぇるさんの急死(自殺とみられる)が報じられた直後、「青汁王子」こと三崎優太氏は上記のように憤りました。
りゅうちぇるさんは生前からネットで誹謗中傷を受けており、ネット中傷を苦に自殺したという見方が大勢を占めています。
そんななか、元妻pecoさんや子どもを残しての自殺にも、「自分勝手だ」などと死体蹴りが続いていたことへの苦言ですが……(次項に続く)。
~「死人に鞭打ち」ジャニー喜多川氏の場合~
「ジャニー氏が亡くなってから、我も我もと被害を訴える人が出てきた。死人に鞭打ちではないか。本当に嫌な思いをしたのなら、その時なぜすぐに訴えない」
ソース:デヴィ夫人『死人に鞭打ちではないか』ジャニーズ性加害問題めぐる発言が波紋 「これはセカンドレイプ」批判や感謝も…賛否両論 – Yahoo!ニュース – 2023年7月29日閲覧。
- ジャニー喜多川氏の死去……2019年
- ジャニーズ性加害問題の追及……2023年
さて、ジャニー喜多川氏による児童性的虐待問題は、①②「ジャニー喜多川氏の死後」に追求されています。
デヴィ夫人曰く、そうした情勢や被害者の声は「死人に鞭打ちではないか」。
また、「死人に鞭打ち」の流れに対して、こうも言い切っています。
彼の功績をたたえ、「昨今の流れは偉大なジャニー氏の慰霊に対する冒涜、日本の恥である」と不快感を示した。
ソース:デヴィ夫人『死人に鞭打ちではないか』ジャニーズ性加害問題めぐる発言が波紋 「これはセカンドレイプ」批判や感謝も…賛否両論 – Yahoo!ニュース – 2023年7月29日閲覧。
なお、青汁王子にしろデヴィ夫人にしろ、テレビやメディアがコメンテーターとして重用してきた実績があります。
デヴィ夫人のニュースソースにも「賛否両論」とあるように、「感謝」や「賛」がある以上、ひとりの暴走老人の暴言だと軽んじることはできません。
彼らの背後には、100万人単位のファンやフォロワーがいて、こう思っています。
りゅうちぇるの自分勝手さは死後に免責されるか?
~2018年~
~2022年~
~世間の反応~
因果応報、自業自得、信賞必罰……。安田尊@誹謗中傷を謳うブログ。こんにちは、最近「誹謗中傷」をテーマにしがちですが、【日本語】「詐欺」は批判か?誹謗中傷か?詐欺罪との違いは?【ネット中傷】証拠が捏造画像でも情報開示?大開示請求[…]
↑各ソースや、たとえりゅうちぇるさんに原因があるとしても、誹謗中傷が不公正であることは上記にまとめています。
その上で、「死ね」などの誹謗中傷には正当性がなくても……。
「自分勝手だ」程度の批判には正当性がありますよね。
りゅうちぇるさんが、芸能人として、イクメン系インフルエンサーとして活動していたのは事実です。
りゅうちぇるさんが、世の中の「甘えすぎ」「心構えが足りない」パパに説教していたのも事実です。
りゅうちぇるさんが、
今月はもうこればっかり連呼しているんですが、「誹謗中傷」とは「根拠のない悪口」です。
りゅうちぇるさんには、「自分勝手だ」といわれるだけの根拠があり、原因もあります。
たしかに、「妻子を残して逝くなんて無責任だ」なんて、他人の家庭の事情に首を突っ込む下世話な批判ですが、
世間に向かって石を投げれば、世間に石を投げ返されるのは当たり前である。安田尊@誹謗中傷を謳うブログ。こんにちは、前回の記事で軽く触れた「石」について、【ネット中傷】誹謗中傷されて傷付く人がSNSに向いてない理由!詳細を掘り下げ[…]
↑世間に石を投げれば、世間に石を投げ返されるのは当たり前である……という話は上記にまとめています。
ここで、「妻子を残して逝くなんて、よっぽどの悩みや事情が……」と同情を買う人間と……。
「妻子を残して逝くなんて、よっぽど無責任だ」とひんしゅくを買う人間の違いはなにか?
「故人を悪くいうな」といいますが、死んだところでその「悪」は免責されません。
死ねば無罪放免なら、あらゆる事件の責任者は、自殺をすれば罪を逃れられることになります。
実際、「この命で罪を償います」とか、「この命で責任を取ります」とかいって自殺する例はよくありますが、
「生きて償います」のほうが、よっぽど責任感にあふれています(もちろん、そういって罪を償わずに逃走するゴミは論外ですが)。
死ねば許される、という思想は、自殺推奨の危険思想にも繋がります。
好き勝手に生きて、ヤバくなったら自殺すればいい(自殺が怖いなら、通り魔事件でも起こして射殺されたり死刑になったりすればいい)みたいな危険思想にも繋がるし、
ジャニー喜多川の犯罪を批判するのは日本の恥か?
~ジャニーズ性加害問題~
りゅうちぇるさんの場合は、法的にはなんら罪を犯していないし、「自分勝手だ」程度の批判が妥当でした。
しかし、ジャニー喜多川氏の児童虐待・性的虐待は?
すでに加害者が死亡していれば、死後に名乗り出た被害者たちへの罪は、すべてお咎めなし?
それとも、権力と保身と隠蔽が大好きで、内部告発が大嫌いな日本の文化的には……。
「権力者の罪を告発した罪」でもあるのでしょうか?
たしかに、今年になってジャニーズ性加害問題が大炎上したきっかけは、海外メディア『BBC』の特集でした。
少なからず日本でも、『週刊文春』などは、ジャニー喜多川氏の存命中からジャニーズ性加害問題を報じていましたが。
NHKを始めとして、その他の大手メディアがジャニー喜多川氏のケツを舐めた権力にひれ伏した結果、死亡逃げ切りが許されました。
そしてBBCの報道後も、日本の大手メディアは「権力者の罪を告発した罪」に触れないように立ち回り、
- ソース1:裏で未成年者への性的虐待や強姦を繰り返していた…BBCがジャニーズの性加害報道を報じた背景にある事件とは – 文春オンライン – 2023年7月29日閲覧。
- ソース2:「ジャニーズ性加害」民放キー局、大新聞文化部は未だにスルー、外圧でしか動かない日本社会の悪しき縮図 – 日刊ゲンダイDIGITAL – 2023年7月29日閲覧。
- ソース3:元タレントら3人に聞き取り 国連人権理、ジャニーズ性加害で – 東京新聞 TOKYO Web – 2023年7月29日閲覧。
私は思うんですが、こうやって、日本の問題を日本国内で解決できないほうが……。
海外メディアや国連に、手取り足取りお世話にならなければ、児童への性加害すら救済できないほうが……。
外圧がなければ、児童を執拗に狙った性犯罪者すら野放しで、
- 加害者が存命中……被害者の声は黙殺
- 加害者が死亡後……死人に鞭を打つな
日本では、①「加害者が存命」なら、被害者の声が黙殺され……。
②「加害者の死後」は、被害者が声を上げると、「死人に鞭打ちではないか」と被害者叩きが始まる。
以上①②が「日本の文化」だとすれば、権力者や犯罪者や加害者に都合良すぎのとんでもねぇ無法国家に見えますが、
こんなゴミみたいな国が、世界に存在していていいの……? って不安になります。
そしてこのゴミみたいな国で、残念ながら、ジャニー喜多川氏の死亡逃げ切りは許されました。
が、もしも日本が汚名返上を誓うなら、ジャニー喜多川氏が逃げ切ったという結末まで許すべきではないし、
それとも、やっぱり死んだら仏で、ジャニー喜多川氏も仏だから鞭打つべきではないのでしょうか?
デヴィ夫人のいうように、「ジャニー氏の慰霊に対する冒涜、日本の恥」で、故人を悪くいうのは許されない?
私も結構恥知らずなほうだという自覚はあるんですが、
まとめ:死人が傷つくか?死人に人の心はあるか?
- りゅうちぇるさんや、ジャニー喜多川氏への死後の言及は、「やめろ」「日本の恥」とされる
- が、自分勝手な人間や性犯罪者が亡くなっても、その行為まで「なかったこと」にはならない
- 相手が生者であれ死者であれ、「死人に鞭打ち」であれ、批判するべきは批判するべきである
以上です。
そして、「青汁王子」こと三崎優太氏の言葉を借りれば、
~「人の心」について~
- 死人に口……なし
- 死人に目……なし
- 死人に耳……なし
- 死人に人権……なし
- 死人に人の心……なし
①②③④「死人が失うもの」を考えれば、死人には⑤「人の心」もなさそうです。
そして目も耳も心もないなら、死人は批判を受け取ることができません。
それがどんなに人を傷つける正論でも、的外れな誹謗中傷でも、
それなのに、相手が生きている間は厳しく批判することが許されて、相手が死んだら「死体蹴り」だの「死人に鞭打ち」だのいって批判をやめるのはおかしくないですか?
人の心がないのはどっちなんだ、って話ですよね。
以上、ちなみに私は、生きていようが死んでいようが「人の心」があるのかは疑問です(哲学の問題に続く)(私はめんどくさいので続かない)。