顔にコンプレックスは付きものです。
前回の記事(【婚活】結婚相手に自分の介護を求めている人は失敗します)でも述べていますが、
という主張があっても、正しくは、
だからです。
そして見た目は文字通り、目に見えてしまうため、どうしても他人と比較してしまいます。
よほどの自信家でもない限り、自分が生まれ持った顔のあらゆるパーツが好きで好きでたまらない、という人は稀でしょう。
しかし、顔は変えられます。
整形があります。
今回はその整形について、手術の是非も含め、考えていきたいと思います。
後悔しないための考え方
まず整形について考えたとき、後悔する可能性はふたつあります。
- 整形しないで後悔する
- 整形して後悔する
まず一番、「整形しないで後悔する」ですが、整形しなかった場合の後悔は回避不可能です。
なぜなら整形を考えた時点で、自分の顔に整形が必要なレベルのコンプレックスを抱いているからです。
自分の顔に整形が必要なレベルで不細工な部分がある、と言い換えてもかまいません。
その不細工な部分を整形以外の方法で誤魔化し、騙し騙しで生きていても、必ずそのたびに、
という後悔や、
といった嫉妬が脳裏をよぎります。
そうした後悔や嫉妬と一生上手く付き合っていけるなら問題はありませんが、茨の道だと思われます。
では次に二番、「整形して後悔する」ですが、整形しても後悔する可能性はあります。
それだけならまだしも、最悪、手術自体の失敗もありえます。
後悔の度合いでいえば、整形しない場合に比べて深刻な事態を招く可能性があります。
しかしハイリスクな分、ハイリターンも望めます。
それだけではなく、なにより嬉しいのは、後悔しないで済む点ですね。
ローリスクローリターンで生きていくか、ハイリスクハイリターンで生きていくか。
いろいろな考え方があると思いますが、この項目では「後悔しない考え方」を述べます。
というか、もう述べていますね。
後悔しないのは、整形した場合だけです。
術後の成功パターンと失敗パターン
さて、ではここからは整形後の成功パターンと失敗パターンを考えていきます。
ちなみに、確実に失敗しないのはもちろん、整形しない場合だけです。
ただし、整形しない場合は成功もありません。
何事もそうですが、リスクを取ってチャレンジした場合のみ、成功と失敗があります。
そしてそのパターンは、大きく分けて四つです。
- 自他ともに認める成功
- 自他ともに認める失敗
- 自分は成功だと思うが他人から見れば失敗
- 自分は失敗だと思うが他人から見れば成功
目指すべきは一番、「自他ともに認める成功」ですね。
では二番から四番に陥る可能性を、順々に潰していきましょう。
自他ともに認める失敗
「自他ともに認める失敗」は、整形前より悪くなっているわけですから、最悪のパターンです。
自分で鏡を見ても整形丸出しだし、当然他人から見ても整形丸出しだし、なのに不細工なままだし、
と叫んでもアンパンマンじゃあるまいし、もう二度と元の顔には戻れません(まあアンパンマンの「新しい顔」が元の顔かといわれると微妙ですが、見た目的な話です)。
このケースは、まず予防として信頼できる美容外科で施術すること。
必ず事前のリサーチとカウンセリング、見積もりを徹底しましょう。
それでも失敗した場合は、失敗は成功の母と捉えて、もう一度チャレンジするしかありません。
自分は成功だと思うが他人から見れば失敗
さて、「自分は成功だと思うが他人から見れば失敗」は、「施術の成否」や「後悔の有無」という点では成功しています。
ただし、根本的に自身の容姿は他人に見せるためにあります。
自分の容姿は他人の評価によって機能する、ということです。
その他人から「失敗だ」と見なされれば、それはやはり失敗でしょう。
施術が希望通りに終わり、自分で鏡を見ても成功だと思う、それでも他人からの評価が悪ければ、居心地も悪いはずです。
居心地が悪くない場合は、逆に周囲の居心地が悪い、すなわち気を使わせていたり、本音がいえない状況を作りだしていたりするかもしれません。
その結果、知らず知らずのうちに疎まれることがあれば、悲しいことです。
注意点としては、多少なりとも周囲の目を意識すること。
それとここまでは、整形を公表しない場合の話です。
もしも自分から整形を公表し、自分の価値観こそがすべてであり、他人の評価などどうでもいい、
とポジティブにアピールできる方なら、やがて周囲の反応も好評に転じるかもしれません。
その場合は、「自他ともに認める成功」になるので、大成功だといえます。
ただし、いうまでもなく、難易度はかなり高めです。
などと揶揄されても動じず、現実は現実として受け止め、その上で、
と胸を張れるかどうかです。
少なくとも私は、現実を味方にしている人のことを、中身も美しいな、と思います。
自分は失敗だと思うが他人から見れば成功
「自分は失敗だと思うが他人から見れば成功」……これは難しい問題です。
たとえ自分の容姿が他人に見せるための機能でも、結局のところは自分の顔、自分の象徴、そして劣等感も自分のもの、ゆえに自分が失敗だと思えば失敗。
そのこだわりはだれにも否定できません。
自意識では整形前と状況が変わっていないわけですからね。
対策としては、すでに挙げた二例と同じです。
まず事前のリサーチやカウンセリングを徹底して、希望通りの施術を成功させること。
そこで自身の肯定に失敗すると、いわゆる整形依存症、整形中毒、醜形恐怖症になる恐れがあります。
そうなれば、何度整形を繰り返しても納得できず、挙げ句の果てに周囲から、
などといわれてしまうパターンに入ってしまいます。
当初は整形にすら気づかれておらず、周囲からは「ダイエットやメイクで可愛くなった」と思われていたかもしれないのに、無駄な整形を繰り返してしまったせいで、整形が露呈、しかも失敗だと思われる……そんな大失敗だけは絶対に避けたいものです。
自分だけの現実も大事ですが、自分で自分の顔は見えません。
本当に自分を直視しているのはだれなのか、他人の評価を受け入れることも大事だと思います。
自他ともに認める成功
最後に、「自他ともに認める成功」の前提条件を書いておきます。
それは、嘘をつかないことです。
現実に整形をしているのに、整形はしていないと言い張るような真似は自重したほうがいいでしょう。
- そこで嘘をつくということは、問題を隠すということです。
- 問題を隠すということは、問題を認めるということになり、
- 問題を認めるということは、失敗を認めるということです。
自身の行いに失敗がないのであれば、隠す必要はないわけですからね。
つまり嘘をつく人は、「自他ともに認める失敗」か、「自分は失敗だと思うが他人から見れば成功」ルートに入っています。
自分の嘘で他人は騙せても、自分は騙せません。
ちなみに、整形自体を「嘘」や「詐欺」だという見方もありますが、だとすると整形手術以外の手術も詐欺です。
病気や事故、遺伝子のエラーなどで本来失われるはずの天命が、人の手や注射やメスによって救われるのであれば、それは「嘘」であり、「詐欺」なんでしょう。
その論を採用したい人には、採用させてあげればいいと思います。
そういう信仰もありますからね。たしか。
私は病気が発覚したら病院に通いたいので、採用しません。
まとめ
私は整形肯定派です。
整形しないで後悔するよりは、整形に踏み切ったほうがいい、というのがその理由です。
ただし公平を期すために記しておきますが、私自身は整形していません。
整形を考えたことはありますが、踏み切ってはいません。
私が整形しない理由は、整形してもどうしようもない、めんどくさい、恥ずかしい、お金がもったいない、まあいろいろありますが、現状は整形しなくても後悔しないからです。
整形しないと後悔すると思ったら、整形します。
別にお金がなくても、レペゼン地球が【レペゼン地球】37thシングル『Fly High』で歌っているとおり、
ですからね。
そしていまのところ、私は趣味に没頭しているので、大丈夫です。
それでも私が整形するとしたら、
- 事前調査を徹底する
- 自分を肯定しまくる
- そのために嘘は禁止
- 現実を味方につける
以上の四点を試みます。
結局のところ、現実に生きている以上、現実は裏切らないので、現実を味方にしていれば成功します。
そして現実として、不自然なものでも人工物でも、美しいものは美しい。
だから私が一番好きな女優さんも、整形ですが、美しい。
そもそも前回の記事(【婚活】結婚相手に自分の介護を求めている人は失敗します)でも書いていますが、人間は不自然な生き物です(あるいは、人間の存在や自然破壊も含め、あらゆるものを自然とするか)。
それもまた現実ですね。
そして現実は変えられませんが、未来はまだ現実ではないので、変えられます(たぶん)。
整形も同じです。
変わったあとは、それが現実になります。
そのとき後悔や失敗を現実にしないために、どうすればいいのかを考えること。
それが一番大事なことなのではないでしょうか。
以上。
THIS IS THE ANSWER.