哲学と自殺は矛盾する。
【拡大自殺】死にたい!でも「未来の自分」も巻き添えでいいの?
【矛盾】「死にたい」と呟くのに死なない理由は?生きたいから!
やっぱり哲学的な感じに突入してしまいました。
- ソクラテス
- プラトン
- アリストテレス
- デカルト
- パスカル
- カント
- ヘーゲル
- ショーペンハウアー
- ニーチェ
- ヴィトゲンシュタイン
↑全員自殺していません(または、自殺説に明確なソースがありません。ソクラテスは自分で毒を飲んで死んだ話が有名ですが、そもそも無知をバカにしまくった罪で死刑宣告を受けたことが前提です)。
ソクラテスと同じパターン「牢屋に入れられ毒を渡され自殺させられた」という意味では、韓非子(「矛盾」という言葉とストーリーを考えた超天才)も有名ですが、やはり純粋な自殺とは見なされていません。
ソクラテスに並ぶ思想家、
↑全員自殺していません。
もちろん、哲学者や思想家で自殺した人間もいるでしょうが、上記の錚々たる面子に比べれば取るに足らない無名でしょう。
この歴史的事実から導かれる結論は、
自殺した哲学者は、しかし哲学を上手くやれなかったがために、矛盾から解放されて自死に至っただけです。
そして死にたい人間は、そうした哲学の失敗者を見習うべきで、哲学の大成者を見習ってはいけません。
では以下目次です。
自殺は思考停止!哲学者は思考停止できる?
~ネガティブ哲学者列伝~
- 厭世主義……この世の醜さ、悪人や不正が蔓延る世界が死ぬほど嫌いで、悲観する立場
- 虚無主義……この世の無意味さ、人生の無意味さに、死んだり死ななかったりする立場
- 沈黙主義……言葉の無能さ、肝心なことがなにも語れない絶望感で、死にたくなる立場
哲学といえば、悲観的で虚無的で絶望的な派閥が一大勢力を誇っています。
これが「哲学」⇒「自殺」のイメージでしょう。
まあニーチェもヴィトゲンシュタインも、ショーペンハウアーの本を読んで影響されているので、
しかしショーペンハウアーは、ずっと絶望しながらも生き続けました。
ニーチェも、いきなり「超人」になるとか言い出して生き続けました。
ヴィトゲンシュタインも、前期の思想を撤回し、後期に進化しました。
そんなに世の中が嫌なら、世界や人生に生きる価値がないなら、死にたいなら死ねばよかったのに。
どうして自殺願望や希死念慮を克服するに至ったのか?
彼らが自殺を克服できた理由は、強かったからとか、天才だったからとかでいいんですが、
いや、この問いは正確ではありません。
彼らが「自殺を克服しようと思った」のかどうかは知りません。
重要なのは、
彼らが「なにを思って」生きていたのかは知りませんが、少なくとも「なにかは思っていた」はずです。
哲学者は思想家だし、思考の専門家です。
なにかを思い続けたり、考え続けたりする能力に長けている……というより、思ったり考えたりせずにはいられない性分なのだから、
この哲学者の特性……哲学者になるような人間の特性こそが、自殺を防いでいるのでは?
世の中では、考えすぎはよくないとか、あの人は考えすぎたから……(悩んで自殺するはめに……)とかいわれています。
でも、逆では?
思考停止できないなら?生命停止も不可能!
~「思考停止」タイプの自殺~
あらゆるものに存在意義はないかもしれない……。
あらゆるものの善悪は語れないかもしれない……。
それでも、「存在」や「意義」や「善悪」について、考えに考え抜いて語ろうとするのが哲学者の姿勢なのでは?
社畜に職場放棄が許されないように、哲学者には思考放棄が許されません。
ライン工は勝手に工場の生産ラインを止められないし、FPSプレイヤーは大地震でもFPSやめれないし、哲学者は自分の思考を停止できません。
そして考え続けるためには、死んだ人間の脳細胞が必ず活動を停止することを思えば、自殺⇒思考停止であると考えられるため、
- 哲学者は、自分で自分の思考が停止できない
- 哲学者は、生命が停止すれば思考も停止する
- 哲学者は、自分で自分の生命が停止できない
つまり、考え続ける能力に秀でた哲学者は、生き続ける能力に秀でた人間です。
その哲学者のなかでも、ずば抜けて優秀なショーペンハウアーとかニーチェとかヴィトゲンシュタインとかは、それは自殺しなかったのもうなずけます。
あの哲学史に残る名言を、あえて世俗的な解釈で引用しますが、
哲学者がやっていることはこれです。
つまり、哲学は罠です。
哲学は、人を死なせないようにできています……、
自殺したければ?哲学をやってはいけない!
自分が死んでも問題ないのだろうか、自殺なんかして地獄に落ちたりしないだろうか、そういうことを検討するために。
すると、すでにそういう死生観について考えてくれていた偉大なる先駆者がすぐに見つかります。
そして私たちは、
こっちは死にたいと思っているのに、こんなやつらの話を参考にしていたら、死ねなくなります。
ある哲学者は、自殺を肯定してくれるでしょう。
そしてある哲学者は、自殺を否定してくるでしょう。
う~ん、自殺は良いのかな~悪いのかな~と考えさせられた分だけ、寿命が延びます。
私たちの「死にたい」と願う心の弱さに付け込んで、思考の奴隷化を仕掛けてきます。
洗脳されたが最後、自殺願望とか希死念慮とかを抱えながら、生かさず殺さずの状態で一生考え続けるはめになり、
~哲学史に残る名言~
とかいう謎のセリフを誇らしげに引用しながら、名言扱いしたりします。
いや、葦(アシ)って、草だよ?
大丈夫?
私の頭のなかのヴィトゲンシュタインだったら、こんな名言もどきは一瞬で粉砕します。
って、こんなふうにパスカルとヴィトゲンシュタインを戦わせている時点で、罠にハマってる!!
これが哲学の手口です。
- 哲学を持たない
- 哲学を作らない
- 哲学を持ち込ませない
この非哲三原則を守りましょう。
死にたい人間にとっての哲学は、生きたい人間にとっての核兵器ぐらい、人類史上最悪の発明品です。
まとめ:成功哲学「考えるな、行動しろ!」
- 哲学といえば自殺というイメージだが、有名な哲学者ほど自殺していない
- 哲学者は思考中毒であり、有害で有毒な考えに苦しみながらも生きる運命
- 私たちが自殺を成功させたければ、アホな哲学者の真似をしてはいけない
以上です。
ところで、私は私の立場から「死にたいなら、哲学をやってはいけない」と書きましたが、
- 死にたいが、本当は生きたい
- 死にたいし、本当に死にたい
前回の記事で扱ったのは、①「生きたい」でした。
本記事で「哲学をやってはいけない」といっているのは、②「死にたい」です。
①「死にたいが、本当は生きたい」の場合は、哲学は愛と並ぶ救済になるでしょう。
前期ヴィトゲンシュタインが持論を死なせて、後期ヴィトゲンシュタインに生まれ変わったように、
自分含め、そういう人間に哲学を送りつけてやれば、死ねない呪いにかけることができるかもしれません。
でも自分やその人が本当に死にたいのか、ただ変わりたいだけなのかは、どうすれば判断できるのでしょうか?
それが救済だろうが自殺だろうが、告白だろうが起業だろうが、考えれば考えるほど不安材料や否定的な考えが浮かんできます。
そうしてくよくよ悩んで、ネガティブな気持ちになって、結局なにもできなくなるのが「考え」の性質です。
だからなんにせよ、成功哲学的な正解は、
みたいに考え出すやつが、行動できない仕組みこそ……。
神様か人間の本能か遺伝子か知りませんが、この罠を仕掛けたやつ、性格終わってませんか?
以上、つまり哲学者は自殺しないんじゃなくて、この意地悪で悪趣味で卑怯すぎる罠に引っかかって自殺できないだけでした……!!
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