食器洗い機(食洗機)を買うと不幸になる人間は、お風呂に入っているときに幸せを感じる人間です。
- 皿洗いも入浴も、水が自分の身体に触れ続ける
- 皿洗いも入浴も、水の流れる音が聞こえ続ける
- 皿洗いも入浴も、水で汚れたものを綺麗に洗う
お風呂大好き人間であれば、この「水」こそが、癒やしの正体であることに異論はないでしょう。
つまり③「汚れたもの」とは、もちろん身体と食器と、
なども含みます。
そして考えてみれば、日常生活でこんなにも「水」の恩恵を受けられる機会は、入浴と皿洗い以外にありません。
だから私は、ルンバや冷凍食品などはガンガン使って家事に使う時間を極力削りながらも、
んです。
「リラックス効果が失われる」程度ではちょっと表現がヌルくて、
とさえ、思っています。
というわけで本記事では、食器洗い機を買うと不幸になる理由を3つ述べます。
では以下目次です。
1
もう少しレベル(年齢)を下げれば、受験競争の覇者である東大生や京大生だって、くだらない痴漢や下着泥棒で人生を棒に振っている例は枚挙に暇がありません。
つまり、加齢が原因でもありません。
私もバカだし、あなたもバカです。
外では知的生命体ぶってサルや動物を見下しているけれど、ひとり家にいるときはアホ面晒して、サルみたいに自分で自分の乳首とかをいじって発情しているのが人間です(いや、サルが自分で自分の乳首をいじるのかどうかは知りませんが)。
ということは、人間の「頭が良い」とか「頭が悪い」とかって、
と、言い換えることができます。
そして両者を比べれば、「頭の良い時間が多い」ほうが、私たちは幸せを感じるはずです。
私もあなたも、サルや動物とは違う、知的エリートですからね。
水の感触や、水の音に包まれて、無心で手を動かしているとき……一種の瞑想状態に入っている感覚が味わえます。
実際、私が、自分ってマジに頭いいな……と思えるのは、
だけです(ちょっと悲しい告白)。
私は基本的に(そして根本的に)アホでバカなので、いつもいつも、自分の生きる意味や自殺する理由しない理由つまり意味のないことを考えてはその無意味さに苦しんでいます。
でも、このふたつのひととき(ふたつのひととき……日本語大丈夫か?)だけは、
と、考えることができます。
皿洗いに命を救われています。
まあでも、いま(この記事を執筆している現在)は皿洗い中でも入浴中でもないので、別に命なんか救われなくてもいいんだけど……と思っているんですが。
と、お皿を洗いにいくことができるのも、私が食器洗い機を買っていないからです。
それなのに、
2
つまり、食器洗いは、食事とともにあります。
当たり前のことを述べて申し訳ないんですが、もうひとつ当たり前のことを述べます。
食事内容や体質で個人差はありますが、基本的にはご飯を食べると、私たちは眠気や倦怠感に襲われます。
理由は複数挙げられますが、たとえば以下の3つ。
- 脳の栄養素不足……血糖値の急上昇後、インスリンの分泌が増え、急降下する
- 覚醒物質の減少……食後、オレキシンの分泌が減るため、覚醒レベルが下がる
- 副交感神経優位……消化官の動きが促進され、身体がリラックスモードに入る
特に①は、医学的には「血糖値スパイク」と呼ばれますが、俗世においては、
といえば、聞いたことがある方も多いでしょう。
もちろん、ドカ食い気絶部は、めちゃくちゃ健康に悪いです。
だから入部はオススメしませんし、知らず知らずのうちに入部されていた方は、退部をオススメします。
しかし、退部をオススメするといっても、
つまり皿洗いは、横になれません。
しかも皿洗いは、必要な活動です。
そして皿洗いは、水に触れ続ける。
たとえば映画の拷問シーンなどで、眠っている相手やうとうとしている相手に、水をぶっかけるシーン。
あるいは、拷問相手の顔に、水滴を垂らし続けて眠らせないシーン。
「動きのある水」は、眠気を飛ばします。
といっても、毎回シャワーを浴びたり、拷問に遭ったりするわけにもいきませんよね(あと、まな板で洗濯をするのもちょっとキツいです)。
同じ効果は手や顔を水で洗っても得られますが、手洗いや洗顔は必要な行動ではありませんし、一瞬で終わるため効果もそれなりです。
一方で皿洗いは、必要な家事で、比較的長時間大量の水に触れ続けることを余儀なくされます。
だから、
こうして皿洗いは、私たちをドカ食い気絶部から退部させてくれます。
そして意識を覚醒させたあとは、有意義に時間を使えばいい。
それなのに、
3
結局のところ、私たちは水なしでは生きられないからです。
- 水を飲むのが好き
- 水で遊ぶのが好き
- 水の形も音も好き
「水の形」というと、ちょっと難解かもしれないので、少し補足しましょう。
古代中国の思想家、老子はいいました。
水は、丸いコップに入れれば、丸く収まってくれます。
水は、四角いコップに入れれば、四角く収まってくれます。
水は、排水溝に流そうとすれば、排水溝に流れていってくれます。
また、「水の音」も同じです。
水は、自慢話をしません。
水は、愚痴もこぼしません。
水は、だれの悪口もいいません。
したがって、
- 水を飲むのが好き
- 水で遊ぶのが好き
- 水の形も音も好き
それなのに、
私は、現代人の不幸はここにあると考えます。
皿洗いより幸福になれる時間なんてそうそうないのに、皿洗いの時間を削って別の時間に充てるほうが、幸福になれると勘違いしている。
その勘違いが、不幸の始まりです。