くよくよ悩んでいる暇があったら「行動」あるのみ!
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日本昔話『一寸法師』の話をちょろっと出しました。
~これまでのあらすじ~
子どもとかと一緒に久しぶりに見ていて、普通に面白かったんですよね。
というわけで本記事では、『一寸法師』の簡単なあらすじと感想と教訓いきます!
では以下目次です。
日本昔話『一寸法師』の簡単なあらすじ
~一寸法師の簡単なあらすじ~
~神の子~
~成長~
~旅立ち~
~ペット~
~鬼~
~打ち出の小槌~
~一生幸せ~
以上が、日本昔話『一寸法師』のあらすじです。
アニメ『まんが日本昔ばなし』をベースにまとめました(新旧2種類ありますが、新しいバージョンです)。
大昔の民間伝承であるため、厳密な意味での作者や出典や元ネタは不明です。
一寸法師は神様と作者に愛された子ども
~日本昔話『一寸法師』の感想~
一寸法師の育ての親は、どう見ても妊娠適齢期を何十年も過ぎているおじいさんとおばあさんでした。
そのおじいさんとおばあさんが、お天道様(太陽⇒お日様⇒神様)に子どもを請います。
そして、畑の大根と大根の間に一寸法師が置かれる……という意味合いもありますが、
一寸法師は、全長約3センチです。
「一寸」は「大人の小指ほどの大きさ」とかいいますが、実際は小指の半分ぐらいの身長しかありません。
本当に見ていてハラハラドキドキしました、一寸法師が畑仕事をしているおじいさんやおばあさんの足下にいって話しかける姿。
だって普通の赤ちゃんだって、踏んじゃったら怖いから絶対に床とかに置きたくありませんよね?
私はハエトリグモ(可愛い)だって、部屋の床付近で見かけたら、指に乗せて私が踏めない壁とかに移します。
蜘蛛は人食い鬼みたいに丸呑みしてくれないし、なかなか残酷な方法で食われるので、胃袋で暴れるとか無理で死ぬ……。
と思いましたが、一寸法師は蜘蛛より強いのでしょうか?
リアルな人間でいうと、地上からタワーマンションの屋上までジャンプするぐらいの身体能力は見せているし……でも一寸法師の奇跡は、身体能力だけでは説明できません。
想像してみてください、ただのお椀を川に流せば……そして、その先に滝があればどうなるか?
近くで魚が飛び跳ねただけで、お椀ごと転覆しそうになったり……。
滝の上から落下したときには、完全に身体が宙に浮いて、お椀と離ればなれになったりしました。
しかし一寸法師は、あらゆる巨大な脅威を普通にやり過ごしました。
これは神に愛されているんですよね。
そして極めつけは、
お姫様は、もちろん結婚相手として与えられているんだし……。
鬼は、レアアイテム「打ち出の小槌」として与えられました。
そして、唯一の欠点だった身長や体格も伸ばすことに成功し、
- 称号……鬼退治の勇者
- 褒美……お姫様と結婚
- 孝行……親への恩返し
鬼退治の勇者にしてお姫様を妻にして育ての親への恩返しも果たした孝行息子、盛りすぎでは?
人生の最初の約20年、身長3センチしかなかったんだよ……!?
しかし、神の子だと思えば不思議はありません。
一寸法師が幸せになれた理由は?行動!
~日本昔話『一寸法師』の教訓~
私は反省しました。
身長3センチしかない一寸法師を見て、おじいさんやおばあさんに踏まれそうとか、虫や動物やハエトリグモに食われそうとか……。
お椀に乗って川下りとか、滝下りとか、できるわけないじゃんとバカにして笑っていました。
いや、自分の身長が人間の平均以上だったとしても、それより超デカい鬼に立ち向かえるかは疑問です。
しかし、一寸法師は立ち向かいました。
しかも伝説の武器も防具もなく、「おばあさんからもらった縫い針」とかいう最低レベルの装備で、鬼退治をやってのけました。
でもそれがわかったのは、一寸法師が自分の人生を試したからです。
もしも一寸法師が、自分の身体の小ささを気にして、あらゆる危険から身を守ろうと思っていたら……?
鬼からは逃げ、その前に旅もせず、そもそも家のなかの虫かごとかに閉じこもって過ごしていたら……?
とかいって、自分の親や育ての親を恨み、世の中のあらゆる巨大なものを恨んで過ごしていたら……?
一寸法師は、自分の身長について1度も悩んでいません。
むしろ、突然アポ無しでお屋敷を訪問した挙げ句、主人「はて、声はすれども姿は見えず……?」に対してこの言い草、↓
~お屋敷の就職面接にて~
↑完全に自分のことを一般人だと思い込んでいる異常者です。
しかし、私たちだって、常日頃から同じようなことを思っていますよね?
たとえば、会社の社長や人事や面接官、あるいは学校の先生や家族や異性に対して、
とか、思っているはずです。
でも私たちはそれを、一寸法師のように口にできるでしょうか?
一寸法師はできたし、できたからこそ、逆にそのデカすぎる態度が気に入られて一発採用されました。
まとめ:一寸法師と成長祈願は矛盾か?
- 日本昔話『一寸法師』は、超小っちゃい人間が、富と名声と身長を手に入れる話
- 日本昔話『一寸法師』の感想は、神様(作者)に愛されたキャラとしか思えない
- 日本昔話『一寸法師』の教訓は、幸せや成功や愛を掴むには、「行動」あるのみ
以上です。
私は、『一寸法師』でおじいさんやおばあさんが願ったような、太陽神や神社仏閣の神はあんまり信じていません。
いわゆる、この私たちが現実世界だと思っている世界って、漫画やアニメやゲームの世界じゃないの……? 的な考え方です。
だから私は、『一寸法師』のような物語においても、「作者の考え」を考えてしまうんですが、
~名付け~
だって大きくなったら、「一寸法師」じゃなくなるんだし……。
「名付け」と「成長祈願」が、矛盾していませんか?
一般的に、私たちが子どもに名前をつけるときは、「将来の人物像」をイメージするはずです。
↑みたいな感じならわかりますが、どういうつもりで「一寸法師」と名付け、どういうつもりで「大きくなれ」といっているんだろう……?
一寸法師が超小っちゃすぎて超可愛すぎて、成長後のことまで頭が回らなかったのか……?
それとも、成長後は「おまえは最初、豆粒だったんだよ」とかいって笑い話にするつもりだったのか……?
もしかしたら、私たちの身の回りにある矛盾も、そういう暗示なのかもしれませんよね?
以上、日本昔話『一寸法師』の感想と教訓でした!