私はバカです。
~これまでのあらすじ~
↑「他人の話を否定するな」も、「バカにバカっていうな」も、バカを怒らせないためのバカマナー。
しかし私の主張はこうです、「バカ」といわれて怒るのはバカの問題なんだから、バカが自分で取り組めばいい話。
私が「バカ」といおうがいうまいが、バカはバカなんだから、バカが嫌なら自分で勉強して賢くなるしかありません。
- 「バカ」で賢くなるバカ
- 「バカ」で発狂するバカ
同じバカでも、①「賢くなる」なら「バカ」と教えてあげるべきだし、②「発狂する」なら「バカっていっちゃダメ」。
本記事では、①「愛すべきバカ」と②「触れてはいけないバカ」、それと「チクチク言葉」のバカっぽさについて解説します。
では以下目次です。
人間は全員バカ!無知を知るべき理由
- 毎日「自分はバカだ」と自戒している若者
- 毎日「自分は頭が良い」と驕っている若者
①「自分はバカだ」と不満げな若者が、己のバカさ加減を嫌って勉学に励めば、少なくとも過去の自分よりは賢くなります。
②「自分は頭が良い」と満足している若者が、もう勉強は十分だと歩みを止めれば、成長もそこで止まります。
そして根本的な話をすれば、人間は全員バカです。
天才は、バカな真似をしないから天才なんじゃなくて、バカな真似をしたときの影響も天災級だから天才なんです。
天才だろうがなんだろうが、失敗をしない人間がいないように、バカではない人間もいません。
しかし、さすがは大天才アインシュタイン、彼はバカのなかでは多少マシなバカでした。
と、愚かな自分を悔やみ、反省ができる男でした。
もしもアインシュタインが、「自分はバカだ」と思うことができない人間だったら、今日のような名声を得られたでしょうか?
偉大な研究成果を残し、天才の代名詞となり、まさに彼が悔やんだ原爆被爆国の国民から、
と、賞賛される科学者だったでしょうか?
自分で自分のことを「頭が良い」と思っているバカは、他人からはただのバカ扱いされます。
「自分はバカだ」と思っているバカこそ、他人からは賢者扱いされる可能性があります。
哲学者ソクラテスは、「自分はろくに物を知らないバカです」という最強の弱者論法の使い手でした。
そして、自称賢者・自称知識人・自称物知り博士を完膚なきまでに叩き潰して回りました。
ソクラテスのやり方はこうです↓
~無知の知~
日本にも、「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥(聞いて知識を得るのは恥ずかしいが、聞かずに知識を得ないのはそれ以上に恥だ)」ということわざがあります。
「自分は無知だ」とさえ認めてしまえば、もうそれ以上の恥はかきようがないので、他人に知らないことを聞き放題です。
ソクラテスは、この無敵論法で、まずはみんなに「自分はろくに物を知らないバカだ」を認めさせる哲学を始めました。
「バカにバカっていっちゃダメ」といわれるのは、「自分はバカだ」と認められないバカに、そうやって恨みを買うからです。
しかし、私たちの身の周りにいるバカは、将来のソクラテスやアインシュタインかもしれません。
「自分はバカだ」と思う人間が賢くなるなら、
賢くしたいバカと見捨ててもいいバカ
~「バカ」というべき相手の見分け方~
- 賢くしたい
- 興味ないね
たとえば自分の愛する家族、友人や恋人、弟子や後継者なら①「賢くしたい」と思うはずです。
どうでもいい他人、ただの顔見知り、取引先の担当者とかなら②「興味がない」でしょう。
こんなふうに問いかけてみると、より具体的に考えられます↓
- 見たくない
- 興味ないね
①「見たくない」なら、自分がそいつの不幸を見たくないがために、努力や労力を惜しまず積極的に介入できるか?
う~ん、自分が助けるのはちょっと……みたいなのは、現実の行動としては②「興味ないね」ですよね。
大丈夫、私たちの興味意欲関心パワーは無限ではないため、現実には②「興味ないね」を選択することがほとんどです。
だから、人生終わってる老害みたいなのは、もう周りのだれからも「バカ」といわれることはないでしょう。
だれもそんな苦労やリスクを負ってまで、その老害を「賢くしたい」とは思わないからです。
②「興味ないね」を言い換えれば、
私は常々思っているんですが、バカに①「バカ」というより、②(バカのまま死んでいけ)と見捨てるほうが残酷じゃないですか?
相手は、「チクチク言葉」とかの比じゃない、トゲトゲ茨の道を歩むことになります。
まあでも、それはそいつが、それまでの行いで「バカっていっちゃダメなほうのバカ」だと思われているのが悪いので自業自得です。
逆に他人であっても、反省と改善ができるバカだったら、「バカ」という価値はあるでしょう。
こうして相手の人間性と相手との関係と自分の苦労を天秤にかければ、「バカ」というべきバカと、そうではないバカは見分けられます。
あるいは、救えないバカが相手であっても、こちらが最大限の配慮と労力をかけて努力し、
「バカ」はチクチク言葉だからダメ?
- 「バカ」
- 「嫌い」
- 「死ね」
①「バカ」も「嫌い」も「死ね」も、意味が全然違うんですが、これらが同じ「人を傷つけるダメな言葉」として並べられています。
分類が雑すぎだし、バカすぎませんか?(チクチク言葉)
このなかで明確にアウトだといえるのは、③「死ね」だけです。
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自己主張ができない、断れない、「否定」を怖がる幼稚な日本人。
「人を傷つける言葉はチクチク言葉」なら、詐欺師に対して「詐欺師」と呼んだり、カルト宗教に対して「カルト宗教」と呼んだりするのもダメでしょうか?
同級生をマルチ商法やカルト宗教に誘う反社会的勢力だって、「反社」呼ばわりされたら傷つきますよね。
- 「早く学校にいきなさい」
- 「宿題を終わらせなさい」
- 「部屋の掃除をしなさい」
↑これからゲームをしたり、YouTubeを見たり、友だちと遊ぼうとしていた子どもは傷つきます。
②「学校にいかない子どもは嫌い」、②「宿題を終わらせない子どもは嫌い」、②「部屋の掃除をしない子どもは嫌い」……。
同様に、①「バカ」ともいっています。
(おまえはバカだから)「学校で勉強しなさい」、「家で宿題をしなさい」、「塾に通いなさい」……。
(おまえはバカだから)「本を読みなさい」、「事故に気をつけなさい」、「犯罪に気をつけなさい」……。
(おまえはバカだから)「人の話をよく聞きなさい」、「メモを取りなさい」、「よく考えて行動しなさい」……。
まとめ:自分をバカにして生きていく
- 人間は全員バカであり、バカのなかでも、マシなバカとガチなバカに分かれる
- マシなバカには「バカ」と教えてあげて、ガチなバカとは関わるべきではない
- 結局「バカ」の意味なのに、伝え方だの言い方だの、意味のない言葉狩りだよ
以上です。
私は「バカ」といわれるのが好きです。
たとえば私は日本人なので、日本語を上手く使いこなしたいと思っていますが、
~日本語上級編~
などとバカにされると、うわぁ 頑張ろう……日本語覚えよう……と思います。
あるいは、すべての人間は幸せを追求したい、または不幸を回避したいと思っていますよね。
そんなとき、私が思いだす言葉は、中田考『みんなちがって、みんなダメ』の第1章、
- 「何をしたいか」
- 「何ができるか」
- 「何をすべきか」
なにも知らないバカだから、自分の不幸すら解決できない。
まずはその自覚を、「無知の知」を得るところから始める必要があります。
もしも「バカ」が禁句だったら、こんなにシンプルな諫言も得られませんでした。
言葉は連鎖するといいますが、だから悪口はいうなといいますが、私は私の「バカ」が私に返ってくればいいと思っています。
私がだれかをバカにしたせいで、私がだれかからバカにされるようなことがあれば、それはつまり私が私を賢くしたも同然だからです。
「バカ」の応酬で切磋琢磨できるのは、人間の成長システムです。
子どもが真似したらどうするの、だれかが傷ついたらどうするの、そうやって騒ぐ親バカ対策として。
しかし、AIの成長に「バカ」という言葉は不要かもしれませんが、人間の成長には必要不可欠です。
以上、悪口がいえない人間なんて、健全な絵しか描けないイラストレーターぐらい無価値です。
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