思想家しか勝たん。
~これまでのあらすじ~
しかしいまやAIは、プロの芸術家や商業イラストレーターを廃業に追い込むレベルの絵を量産しています。
そしてそのうち、プロの小説家や漫画家が筆を折るレベルのコンテンツを量産するでしょう。
さらには、プロの声優が声を失うレベルの朗読を量産し、プロのアーティストが……プロのアニメーターが……プロのプログラマーが……、
終わりだよ人類。
しかし、人間にあって、AIにはないものがひとつ残されています。
私たちがこの先生きのこるためには、思想を磨かなければなりません。
では以下目次です。
人間がAIの表現活動に勝てない理由
~これまでのあらすじ~
- 人間……悪口OK、ヤバい絵OK
- AI……悪口NG、ヤバい絵NG
前々々回、私はこの①「OK」部分が人間の価値であると主張しましたが、不完全さは否めません。
結局のところ、NGワードやフィルタリング、検閲機能は完璧ではないからです。
どれだけ法律やら規約やらで取り締まっても、いくらでも脱法行為が可能だし、
- 悪口をいうAI
- 悪口をいう人間
①「悪口をいうAI」は、膨大なデータに基づいて、人間の反省や成長を促す適切なタイミング・語彙・量の悪口がいえるでしょう。
②「悪口をいう人間」は、だいたいは「おまえのためを思って」とかを大義名分に、自分の言いたい事を言いたい放題いうだけの性格が終わっている人格破綻者のクズです(ごめん、ちょっと言い過ぎた?)。
そして、「悪口」の部分を「ヤバい絵」とか「反社会的な漫画」とか「倫理観がない映画」とかに置き換えれば、
私もこんなイキりブログは爆破して、イキりAIが量産するイキり記事に後を任せて、ネット回線切って首吊って氏にたい……。
SNSや匿名掲示板で飛び交っている、ありがたいお説教も批判も解説も、AIと交代するしかありません。
批評家様、評論家様、毒舌家様、
もちろん、絶賛レビューだのファンアートだの、ポジティブな表現だってAIに任せればいい。
尊すぎて尊い(語彙力)とか括弧内で言い訳している人間だって、AIに「尊い」を長文化してもらえば、熱意のこもったファンレターの出来上がり!
あれ? でもちょっと待って、ファンレターに熱意を宿すには、そのファンレターと結びつく熱意エネルギーが必要だけど、
「作者の死」は「人間の死」である
AIは機械学習によって、機械的にインプットした内容を機械的にアウトプットしているだけです。
AIにどんなに熱烈っぽいラブレターを書かせたとしても、そこに愛はありません。
じゃあ人間には「悪意」「熱意」「愛」があるのかという話はかなりめんどくさい方向にいくので、ここではあると仮定します(自分の胸に訊いてみてください!)。
し‐そう〔‐サウ〕【思想】 の解説
ソース:思想(しそう)の意味 – goo国語辞書 – 2022年11月27日閲覧。
[名](スル)
1 心に思い浮かべること。考えること。考え。「新しい―が浮かぶ」
「普天下の人をして自由に―し」〈中村訳・自由之理〉
出典:デジタル大辞泉(小学館)
しそう【思想】
ソース:岩波 国語辞典 第七版 新版 – 株式会社岩波書店
①心に思い浮かんだこと。考え。特に、生活の中に生まれ、その生活・行動を支配する、ものの見方。「―・信条の自由」
「ちょっと一言いってやろう」も思想だし、「感謝感激雨あられを伝えよう」も思想だし、「世界の中心で愛を叫ぶ」も思想です。
その言葉の選択、色の選択、iPhoneを選ぶかAndroidを選ぶかも思想です。
AIに同じ選択ができたとしても、同じ言葉で同じ色で同じ線を引けたとしても、
~思想の有無~
哲学的には、ロラン・バルト「作者の死」という概念があって、雑にいえば「作者が作品に込めた思いとかどうでもいいよ、作者がどう表現したかじゃなくて、受け手にとってどう表現されているかがすべてだよ」的な意味ですが……。
ここにきて、「作者の死」は、「人間の死」になります。
作者の思想を抜きに作品を解釈するなら、人間の作品はAIには勝てません。
もしも人間が1秒以上の時間をかけるなら、その時間を使って、作品に思想を宿さなければなりません。
ただ綺麗な表現だけを鑑賞したいなら、もはや人間は不要です。
重要なのは、AIが真似できない表現の裏側であり、表に現れない隠されたメッセージであり、
人間の価値は思想!説教臭くなろう
~表現に込められた思想の例~
AIは一見すると同じレベルの視覚芸術を生産できますが、その歴史的・思想的・美術的価値は、ピカソの足下にも及びません。
上手に模写できたね、偉いね、よしよし……。
だからなに?
なぜその言葉を選んだのか、なぜその色を選んだのか、なぜその線を引いたのか?
私たち人間は、これまで以上に、意識的に考えなければなりません。
「直感」とか「降りてきた」とか「読者の想像にお任せ」とかいって、「考えなし」を誤魔化すなら、そんな適当な仕事はAIに取って代わられます。
これまでは、たとえばエンタメに仕込まれた説教や、主観の入り混じった解説はマイナス評価を食らっていました。
道徳・倫理・現実、そんなのどうでもいいから、とにかく楽しく・気持ち良く・現実を忘れさせて!
でも単なるエンタメの牙城は、もうAI軍に包囲されています。
- 思想
- 意見
- 主張
AIは、「説教をしてやろう」とか「啓蒙してやろう」とは思えないので、表現に①②③「テーマ」を込めることができません。
そこに人間の作者がやってきて、「私の作品にはこういう意図があるけどね」と説明できるなら、「作者の意図」が持てないAIとの差別化が図れます。
たとえば、当ブログの表現と思想の一部を説明すると、
~当ブログの表現~
↑前回の記事でも、このように表現していました。
この形式自体は、AIでも簡単にコピー可能です。
しかし、以下の思想はどうでしょうか?
~当ブログの思想~
↑この「視線が左右に振られてウゼー」は、AIにはコピー不可能な思想です。
AIが、私のやり方や「視線が左右に振られてウゼー」という文字列だけを真似しても、そこには思想がありません。
そして、人間だけが、この思想に共感したり反発したりできます。
私は同じブロガーに対して、「吹き出しを左右に振っているバカ、視線が左右に振られてウゼーんだよ」と説教をしています。
しかし、吹き出しを左右に振っているバカは、私に対して「全部片側だと会話がわかりにくいだろバカ」と説教をしているかもしれません。
異論は認めますが、もしもそれが人間の持論なら、結局のところそれも説教です。
説教するな(説教)。
この説教バトルのような、
まとめ:思想を磨くには言葉を磨く
- AIの表現技術は史上最強であり、人間は表現だけで勝負すれば絶対に勝てない
- AIになくて、人間にあるっぽいものは「思想」、人間の武器は「思想」である
- 人間は、AIが真似できない主張や説教やテーマで、表現の裏でバトルするべき
以上です。
というわけで、人間がこの先生きのこるには、思想を磨くしかありません。
ブログはテキストサイト、つまり言葉がメインコンテンツです。
人間の言葉は、思想が原材料です。
聖女マザー・テレサのものとされる、あの説教臭い名言にもあるとおりです↓
~マザー・テレサの説教~
まあ私はこれ、本当にマザー・テレサ級偉人の言葉でも、論理がぴょんぴょん飛び跳ねているのであんまり名言とは思いませんが……(逆説教)。
しかし少なくとも1行目は、自分の気持ちとか思いとかを言葉で考えているなら、思考(思想)と言葉は連動しているはずです。
たとえば、思想を磨くから言葉が磨かれるのか、言葉を磨くから思想が磨かれるのか?
そういう日々の疑問を考えて書いていれば、自ずと思想と言葉が磨かれるでしょう。
以上、ソースは私(ブログ4年生)でした!
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