ホームレス(路上生活者)っぽい人や、どう見ても70歳オーバーなのに交通誘導警備員とかで働かされている人や、あるいは自殺を選んだ人のニュースとかを見かけると、
という疑問が湧いてきますよね。
純粋に「生活保護制度」を知らない可能性は、もちろんあります。
実際、2021年10月にはそういう事件がありました。
ソース:「殺して…」困窮の果て、生活保護を知らぬ長男は母の願いに応えた – ライブドアニュース – 2021年11月30日閲覧。
しかし、非受給者の生活困窮者が全員「生活保護制度」を知らないとは考えられません。
というわけで本記事では、私がホームレスor生活保護の2択だったら、こういう理由で生活保護を受給しないだろうなって理由を3点、
- ホームレスと生活保護だったら、生活保護のほうが恥ずかしい
- ホームレスと生活保護だったら、生活保護のほうが自由がない
- ホームレスと生活保護だったら、生活保護のほうが尊厳がない
お送りします。
では以下目次です。
生活保護は恥ずかしくない?その主張が「恥ずかしい」根拠
まず前提として、
- 恥ずかしい
- 恥ずかしくない
とか、感じるのは自分の問題であって、個人の感じ方や感情は客観的な事実としては規定されません。
その上で現在、福祉系のNPOや支援団体や各種メディアなどが、
と、喧伝していますよね。
だから、
んです。
このロジック、
- 生活保護は、恥ずかしくない!
- だから、生活保護は恥ずかしい
理解できるでしょうか?
「生活保護は、恥ずかしくない!」という主張には、前提が隠されていますよね。
という主張の構造があるわけです。
だって、そもそも恥ずかしくなかったら、「恥ずかしくない!」なんて主張をする必要がありません。
こんな主張を見かけたことがありますか?
私は寡聞にして知りません。
ハーバードもワールドカップもノーベル賞も、そもそも恥ずかしくないから、「恥ずかしくない!」なんて主張をする必要がありません。
一方で、
という主張は見かけるし、ああなんだか、コンプレックスにまみれて恥ずかしがっている様子がありありと浮かんできます。
そして、
……うん。
つまり、
それに、「権利だから」⇒「恥ずかしくない」という主張もよくわかりませんよね。
「権利だけど」⇒「恥ずかしい」は、別に矛盾しません。
私がこうして稚拙な言説を弄するのは私の権利ですが、同時に私は恥ずかしくて恥ずかしくてたまりません(でも残念ながら、恥を重ねないと上達しないんです、何事も)。
生活保護は自由?子供や社畜や主婦やホームレスより不自由
さて、生活「保護」というからには、生活保護受給者には「保護者」がつくわけですよね。
- ケースワーカー
- 査察指導員
- 就労支援員
といった人たちが、保護者を務めます。
未成年者といえば、不自由の象徴です。
親に1日のスケジュールを管理され、やれ早く起きなさいだの学校にいきなさいだの勉強しなさいだの遊ぶなだの家事を手伝いなさいだのご飯を食べなさいだのお風呂に入りなさいだの歯を磨きなさいだの早く寝なさいだの……。
まあそれは親の愛情ですが、とはいえ親の愛情でも、子どもはウザいと思っています。
それなのに、家族愛に基づいた親の管理でもウザいのに、
ケースワーカーに、
- 定期的に家庭を訪問されたり、
- 部屋や持ち物を調べられたり、
- 生活態度をチェックされたり、
- 通院には連絡が必要だったり、
- 収支も報告の義務があったり、
- ハローワークに連行されたり、
ざっと調べただけでも、かなりプライバシーがなくて、めちゃくちゃ不自由ですよね。
私がこれまでに見聞きした、あえて生活保護を受けないホームレスの人たちのインタビューなどを鑑みても、この制約ゆえにホームレスを選ぶ人はかなり多そうです。
「恥ずかしい」だって、なぜ恥ずかしいのかといえば、
と説明されれば、十分納得に足る理由ですよね。
世の中には、たとえ自立して働いている人間合格者でも、
という言葉があるとおり、社会人だって不自由の身です。
しかし、社畜にも(とんでもないブラック企業勤めを除けば)オンとオフ、仕事とプライベートの区別があります。
一方で、生活保護受給者は、寝ても覚めても生活保護受給者です。
ある意味、
と、悲鳴を上げている専業主婦のようです。
だから専業主婦が、「家庭」を「檻」だと感じるなら……生活保護受給者だって「生活保護」を「檻」だと感じるのではないでしょうか。
と、四六時中悩まされる、精神的な監獄。
実際、1度生活保護のお世話になると、大変な努力をしなければ社会復帰は無理でしょう(まあそれはホームレスも専業主婦も同じでしょうが)。
こうして首根っこを掴まれていては、仮に自立もせずに寝転がれるとしても、気が休まりませんよね。
ここまで、
- 未成年者
- 社畜
- 主婦
- 生活保護受給者
と、それぞれの不自由を扱ってきましたが、やはり相対的に(自由とは相対的なものです)、
生活保護に人権は?異常者には発言権や発言する資格がない
ところで私は先ほど、②「生活保護受給者には自由がない」の項目で、「社会復帰」という言葉を使いました。
で、思ったんですけど、「社会復帰」って、それじゃあまるで、
ですよね。
おっと、もしかして私は言葉遣いを間違えたか……? と思って調べてみたら、普通に大手ニュースサイトでも「生活保護」+「社会復帰」は使われていました。
ソース1:27歳で生活保護を抜け「社会復帰」 犯罪歴のある男性が直面する「絶望」 – ライブドアニュース – 2021年11月30日閲覧。
ソース2:生活保護、自殺未遂などから社会復帰した女性の「苦難の道程」 – ライブドアニュース – 2021年11月30日閲覧。
ソース3:生活保護受給者の社会復帰に壁?ケースワーカーがパワハラか – ライブドアニュース – 2021年11月30日閲覧。
しゃかい‐ふっき〔シヤクワイフクキ〕【社会復帰】 の解説
ソース:社会復帰(しゃかいふっき)の意味 – goo国語辞書 – 2021年11月30日閲覧。
[名](スル)病気や事故で正常な社会活動ができなくなっていた人が、回復して再び社会で活動するようになること。
しゃかい‐ふっき シャクヮイフクキ【社会復帰】
ソース:社会復帰とは – コトバンク – 2021年11月30日閲覧。
〘名〙
① 病気やけがなどで、いったん正常な社会生活ができなくなっていた人が、全快して元の社会生活にもどること。
※闘(1965)〈幸田文〉八「いま奇蹟が起きて全快し、社会復帰したらこんなふうに働き、こんな人とこんな恋とか」
② 刑期を終えて出所した者を、健全な社会人として再び社会に受け入れるようにすること。再社会化。
一言でまとめると、「社会復帰」が必要な人は、
です。
つまり人間が社会的動物である以上、「社会復帰」が必要な生活保護受給者もまた、正常ではないのでしょう。
だからこそ、発言によって意思疎通ができない生き物、
- 犬
- 猫
- 虫
- 鳥
- 魚
などとは、区別されます。
じゃあ問題、
ぶっちゃけ、過激派の人にいわせれば、「発言権」すらないといいそうです(過激派とは、たとえば「選挙で投票しない人間は、政治に文句をいう権利も資格もない」みたいな主張をする人たちのことです)。
たとえばこういうことです。
なぜなら、説得力がないから。
特にそれが、クレームだったり、求めてもいない素人考えのお節介なアドバイスだったりしたら、
と、社会人は表向き丁重に接していたとしても、内心ではブチギレるのではないでしょうか(社会人のストレスを言語化した場合、この程度は正常の範囲内です)。
あるいは心を無にして、無視して相手にしないのではないでしょうか。
それはとりもなおさず、生活保護受給者の立場からすれば、
と、意見を封殺されるのはお決まりですよね。
ソース:【東京】「生活保護は恥じゃない」「みんなで使おう生活保護」 受給者らが霞が関でデモ行進 – 痛いニュース(ノ∀`) – 2021年11月30日閲覧。
また、本記事投稿の3日後に、生活保護行政のリアルな声が報じられたので追記しておきます。
これが現実です。
ソース:生活保護受給者を「人間ではない」「無職のくせに」と中傷する投稿 苫小牧市の男性職員 北海道 – Yahoo!ニュース – 2021年12月3日閲覧。
とはいえしかし、この発言力の剥奪については、ホームレスも同じですよね。
ホームレスだって、「社会復帰」と結びつけられる立場で、「正常ではない人」です。
でも個人的には、
と感じます。
なんだかんだいって、ホームレスには自活感があるからです。
たしかにホームレスは、公共の路上を勝手に占領したり、ボランティア団体の炊き出しを利用したりはしているのでしょう。
しかしその程度の「公共サービス」や「無料サービス」は、一般市民でも受けています(公園や公道などの公共施設、公営住宅や公立学校・病院などの公共サービス、公共交通機関や上下水道などの各種インフラ……ほとんどの場合、自分の支払った税金や対価以上に)。
ホームレスは生活扶助を受けていないし、もちろん住宅扶助も受けていないし、各種税金や保険料や医療費の支払い免除も受けていません。
では両者を比べたときに、
って私は思います。
まあ五十歩百歩というか、どんぐりの背比べというか、目くそ鼻くそという言葉もありますが。
でも「五十歩」と「百歩」には明確な差があるよね。
だから私は、ホームレスが生活保護受給者になったとき、確実になにかが……生活力が、発言力が、人間的尊厳が……失われるのを感じます。
まとめ:「恥の文化」を解決して生活保護を受給させる方法
- ホームレスと生活保護だったら、生活保護のほうが恥ずかしい
- ホームレスと生活保護だったら、生活保護のほうが自由がない
- ホームレスと生活保護だったら、生活保護のほうが尊厳がない
以上です。
だから、
という、ある意味で尊厳死的な考え方も成立します。
最後に、生活困窮者に、ホームレスより生活保護を選ばせるための方法を述べて終わります。
と、広報することです。
「生活保護」⇒「恥ずかしくない」という主張は、本記事で解説したとおり、「恥ずかしくない」という主張自体が「恥ずかしい」の根拠になるという悪循環に陥っています。
さらに日本は、「恥の文化」(ルース・ベネディクト『菊と刀』)といわれるとおり、「恥ずかしい」という価値観が支配的です。
それなら、
ただしこの方法は、公務員や政治家が恥を隠蔽する限り、使えないという最悪の欠点がありますが……(さすがは「恥の文化」)。
以上、社会的弱者が生活保護を受給しない理由と、弱者に生活保護を受給させる方法でした!