相手が強かったって、それ「相手が悪かった」といっているんですよね?
~これまでのあらすじ~
たとえば格闘ゲーム『ストリートファイター6』、初心者でも簡単に操作できる「モダンモード」が搭載されていて、めちゃくちゃ楽しいですよね。
それで私もブログをサボってゲーマー仲間と対戦しているんですが……。
私のフレンドはみんな礼儀正しくてマナーが良くて、でもだからこそこんな負け犬の遠吠えがよく聞こえてきます。
- 相手が強かった
- 自分が弱かった
①「相手を褒め称える」のは気持ちイイんですよ、礼儀正しくてマナーが良くて、グッドルーザー(善良な負け犬)に見えるから。
でも②「自分の実力」から目を背けている限り、おまえ一生負け犬だよ……なんて、さすがの私も直接ぶっぱなしてフレンドを失いたくはないので、ここに書き捨てておきますね。
では以下目次です。
相手を褒める人間は?反省も成長もしない
~よくある礼儀正しい負け犬のコメント~
- 相手が素晴らしかった
- 相手が一枚上手だった
- これは相手を褒めるべき
①②③「相手が強かった」系のコメントは、相手をリスペクトしており、マナー的には最高です。
自分が負けた悔しい気持ちを押し殺して、自分を負かした相手を賞賛できるなんて、なんて素晴らしい人格者なんだ!
でも冷静に考えると、敗者が勝者を褒め称える行為って、めちゃくちゃ卑怯じゃないですか?
って、必死に訴えかけているような気がしてなりません。
これがトーナメント戦とかなら、自分を負かした相手が優勝することを必死に祈ってそう。
もしも自分を負かした相手が優勝してくれれば、
ぐらいの精神勝利を決めて、自分を納得させられますからね。
つまり自分を負かした相手を持ち上げれば持ち上げるほど、自分の負け犬イメージも美化できて、敗北ダメージも減らせるから持ち上げているだけで……。
単に褒め得だから褒めているだけで、それって人格者というよりは、むしろクズ寄りの卑怯者のテクニックですよね。
- 相手が強かったから負けた
- 自分が弱かったから負けた
①②「自分が負けた」という結果から逆算すれば、①「相手が強かった」も②「自分が弱かった」も正しく、どちらを選んでも間違いではありません。
が、①「他責」と考えるか②「自責」と考えるかで、その後の行動は大きく異なります。
①「相手が強かったから負けた」と考える人間は、
~他責思考~
そして負けるたびに「相手が強かった」「相手が悪かった」などと自分を慰める、礼儀正しい負け犬ルートへと入ります。
それは一見礼儀正しいように見えて、じつは「自分が弱かった」「自分が悪かった」ことを認められない臆病な小心者です。
一方で、②「自分が弱かったから負けた」と考える人間は、
~自責思考~
成功哲学には、「他人は変えられない」という有名な必修科目がありますが、それは勝負事においても同じです。
自分に対戦相手の強さを変える権限はないので、相手が今後弱体化することを期待しても無駄です。
が、自分の弱さなら、自分次第でいくらでも(自分の能力の範囲内で)強化できるわけですから、
味方に憧れる人間は?向上心も理解もない
~サッカー日本代表の例~
- 今野泰幸(ガンバ大阪/Jリーグ)
- 香川真司(マンチェスター・ユナイテッド/プレミアリーグ)
- 長友佑都(インテルナツィオナーレ・ミラノ/セリエA)
当時のサッカー日本代表には、世界的ビッグクラブに所属する①②「マンU香川」「インテル長友」がいました。
そんなワールドクラスのチームメイトに対して、国内でプレーする今野選手が「あこがれ」を口にし、本田選手に苦言を呈されました。
今野選手は、本田選手にダメ出しを受けて、
と、あくまでチームメイトが誇りであり、応援していると語ります。
しかしこの回答では、本田選手は納得しないでしょう。
現役を引退して解説者とかをやっている立場ならまだしも、「ビッグクラブでプレーしている選手」と一緒に代表に選出されている選手が、
いや、自分を誇りにできるような、自分が大勢のサポーターに応援されるような選手になるべきなんじゃないのか?
本田選手の苦言には、そのような問いが込められていたはずです。
そして今野選手も、最終的には本田選手の指摘を受け入れ、自分へと視線を向けました。
ソース:本田に“あこがれ禁止”と言われた今野「素直な気持ちなので…」 – ゲキサカ – 2023年9月28日閲覧。
この会話から得られる教訓は、たとえ仲間であっても、他人を褒めている暇があったら自分が向上心を持てということです。
「あこがれ」といえば、漫画『BLEACH』のあの有名なセリフも参考になります。
~藍染惣右介の名言~
もしも凄いチームメイトを尊敬したり、強いチームメイトに憧れたりしているなら、その凄さや強さに恋焦がれている場合ではありません。
なぜ尊敬できるのか、なぜ凄いのか、なぜ強いのか?
盲目なファン目線ではなく、プレイヤー目線で研究し、自分で身につけて自分が活躍しなければ……、
自分と向き合ってから他人と向き合うべき
~他人を褒めてはいけないのか?~
- 自分は弱い
- 相手は強い
①「自分」⇒②「相手」の順番で視点を動かすことによって、自分を主体にできます。
自分が主体なら、対戦相手であれチームメイトであれ、自分の良き練習相手として捉えられます。
①「自分は弱いから」⇒②「強い人を参考にしよう!」。
相手主体、自分不在で、自分が成長できるわけもありません。
一生アイドルとかを推し続けているだけのモブが成長しているでしょうか?
一生YouTuberとかのアンチを続けているだけのモブが成長していますか?
だから成長したければ、まずは①「自分」を主体に考え、次に②「他人」を褒めたり憧れたりするべきです。
この順番さえ守れば、自分の成長と他人への崇拝は矛盾しません。
自分は成長し続け、なおかつ他人を尊敬できる究極の人格者が誕生するのであり、
まとめ:味方批判も「マイバッド」もゴミ
- 敗因を「相手が強かった」と相手に求める人間は、「自分が弱かった」反省から逃げている
- 味方に憧れたり味方を誇りにしたりする人間は、自分が背負うべき戦いから目を背けている
- まずは自分の責任と責務に目を通し、それから他人をリスペクトすれば自分の成長に繋がる
以上です。
最後に、当たり前すぎて言い忘れていましたが、
勝ったときは自分のおかげ、負けたときは味方のせい、そんなゴミが成長できるわけもありません。
一概にはいえませんが、そういうゴミは完全自己責任の1VS1で対戦する格ゲーなんかには手を出さないので、見分け方の参考になります。
また、逆に自分に責任を求める言葉に、「マイバッド」ってありますよね。
この言葉は、本来ならまさに本記事で推奨するべき言葉なんですが……。
なんか、なんにも考えずに口癖みたいに連呼しているやつ多くない?
とりあえず「マイバッド」いっておけばいいでしょみたいな、
う~ん、マナーが形骸化する日本人の悪い癖!
言葉は、その意味するところを噛みしめ、行動に移さなければ意味を成しません。
以上、本当に自分が悪いと思っているなら、反省して改善して2度と同じ「マイバッド」を繰り返さないようにしてください!