1対1の格ゲーは、勝利の栄光も敗退の責任も自分だけのもの。
~これまでのあらすじ~
「そういうゴミ」とは、「勝ったときは自分のおかげ、負けたときは味方のせい」にするゴミです。
しかし1VS1の格闘ゲームは、自然とそういうゴミを排除し、淘汰するシステムになっています。
さらに運要素が少なく、ただひたすらに繰り返す地道な鍛錬と己との戦いのみが勝利への道であり、
- 俺より弱い奴に会いに行きたい
- 強い奴とは運ゲーで勝負したい
- 努力も向上心も不要で勝ちたい
①②③「負け犬」はチームバトル形式のFPSでもやっていてください。
本当に「対戦」を味わうなら、格ゲー一択でしょ?
では以下目次です。
格ゲーは自己責任!勝っても負けても自分の実力
~格ゲーが最高の対戦ゲームである理由その①~
- FPS『Apex Legends』
- FPS『VALORANT』
- MOBA『League of Legends』
いうまでもなく、負けた責任を味方に押しつけたり、味方批判をしたりするゴミは①②③「味方がいるゲーム」を遊びます。
一方で1v1の格闘ゲームには、そうした責任転嫁が存在しません。
自分が負けた試合は自分が負けたのであり、自分がコンボをミスった試合は自分がコンボをミスったのであり、自分が対空出なかった試合は自分が対空出なかったのであり、
~犯人探し~
そんな当たり前の話も、チームバトル形式では「俺は勝ってたのに!」「味方が悪い!」と叫ぶ迷探偵が続出します。
格ゲーは、そんな迷推理とは無縁です。
すべての格ゲープレイヤーが名探偵であり、事件の真相を完璧に突き止めることができるのであり、
自分がコンボをミスった原因はなにか、自分のコンボ練習が甘かったからである。
自分が対空出なかった理由はなにか、自分の読みや反応やコマンド練習が甘かったからである。
自分が甘えたから自分が負けた、この甘えが許されない自己責任の重圧を、人はこう呼びます。
自分以外だれのせいにもできない、この孤独な戦いを耐え抜ける者のみが、格ゲープレイヤーとして大成します。
味方に勝敗を左右されたいしょうもないゲーマーは、チームゲームでもやっていてください。
味方に勝敗を左右されないガチの実力勝負をやりたいゲーマーは、格ゲーの世界へようこそ!
そういわれるのも当たり前です。
時計だって車だってイイ女だって、最高のモノは平均的な凡人には手が出せないんだし、最高の体験は大衆にとって高嶺の花です。
大衆が、素材の味で勝負している日本料理より、マクドナルドのハッピーセットに飛びつくのは仕方がありません。
しかし、パパに買ってもらったブランド品で満足する人生と、自力で高級ブランドの顧客になる人生はどちらが幸せでしょうか?
いえわかっています、もちろんほとんどの凡人は、パパに買ってもらったブランド品で満足です。
だから、売り上げやプレイヤー数で語るなら、格ゲーはオワコンにしかならないでしょうが、
世の中まだまだ捨てたものではないらしく、新参も古参も格ゲープレイヤーはまだまだいます。
新作が出続けて大会が盛り上がるなかで、格ゲー衰退論や格ゲーオワコン論は、格ゲーから逃げ出した負け犬の遠吠えでしかありません。
そんな負け犬をはるか上空から見下ろしながら、今日も孤高の格ゲープレイヤーは戦っています。
~格ゲーが最高の対戦ゲームである理由その①~
格ゲーは実力主義!運やまぐれでは勝てない世界
~格ゲーが最高の対戦ゲームである理由その②~
- FPS『Apex Legends』
- FPS『VALORANT』
- MOBA『League of Legends』
たとえば①『Apex Legends』は、マップからランダムに配置された武器やアイテムを拾って戦うため、どんなに強いプレイヤーでも運が悪ければ⇒強い武器が拾えなければ退場コースです。
次に②『VALORANT』は、ヘッドショット(頭部射撃)1発で死ぬため、どんなに強いプレイヤーでも運が悪ければ⇒初心者のまぐれヘッドショット1発に撃ち負けることがあります。
最後に③『League of Legends』は、5VS5のチームバトルなので、どんなに強いプレイヤーでも運が悪ければ⇒味方にトロール(とんでもねぇ無能)がいれば負け戦を強いられます。
もちろん格ゲーにも、いわゆる「二択」や「じゃんけん」と呼ばれる運要素はあります。
特に初めて対戦するプレイヤー同士なら、相手がどんな手を好むのかもわからないし、最初は運任せにグーチョキパーのどれかを出すしかないでしょう。
が、じゃんけんだって連戦すれば、「次も同じ手を出すか」「手を変えるか」の読み合いとメンタルの勝負であり、
FPSやMOBAなどと比べて、格ゲーは1試合が短いため、試合数(試行回数)を増やしやすい。
そして、そのすべての試合で、同じ条件を再現しながら戦うことができます。
つまり、よく使用される「10先(10本先取)」や、さらに精度の高い「100先」などのレギュレーションで勝負すれば、
これがFPSやMOBAなら、マップガチャだの武器ガチャだの味方ガチャだの、言い訳の最大コンボですからね。
どちらが実力ゲーなのか、実力主義なのかは明白でしょう。
いってみれば、格ゲーが将棋や囲碁やチェスなのに対して、チームゲーは麻雀ってところであり、
~格ゲーが最高の対戦ゲームである理由その②~
格ゲーは喜怒哀楽!すべてが揃った最高のゲーム
~格ゲーが最高の対戦ゲームである理由その③~
- 喜
- 怒
- 哀
- 楽
さて、格ゲーは①②③④「喜怒哀楽」に満ちあふれたゲームです。
私は①「喜」や④「楽」しか楽しめない人生より、①②③④「喜怒哀楽」すべてを楽しめる人生のほうが楽しい人生だと考えています。
そこへきて、格ゲーにおける自己責任と実力主義は、②「怒」や③「哀」の感情も容赦なく揺さぶってきます。
時にはブチギレて、ゲーム機やコントローラーや台に大パンをかましてぶち壊してしまうかもしれないし……。
時には涙声で、「もう2度とやらんわこのクソゲー」と誓うかもしれません。
だからこそ、楽しいのです。
負けてへこんでメンヘラになってしまうようなゲームのほうが、対戦ゲームとしては完成されています。
難易度は高ければ高いほどクリアしたときの達成感も大きく、敵は強ければ強いほど勝てたときの喜びも大きい。
幾多の失敗と敗北と緊張を乗り越えて、最高難易度のコンボを最大の天敵に叩き込んでいるときの楽しさは、格ゲーでしか味わえない体験です。
そうして相手の動きを完全に上回り、指に染み込ませたコマンドを入力し、練習の成果を最大限発揮して勝利したとき……。
こんなに誇らしい気持ちになれることが、人生で何度あるでしょうか?
それを「俺より強い奴」相手に披露できれば、半分イキかけます。
対戦ゲームの醍醐味は、この心臓の破り合いであって、もはや心臓が破裂するぐらいドキドキできれば勝ち負けすらどうでもいいまであります。
勝たなければ楽しくないという人間は、全力を出し切って負けることの気持ちよさを知らないだけです。
ひとつのことに全力で打ち込み、それでも上には上がいることを思い知る楽しさを知らないだけです。
対戦相手に敬意を持ちましょう、そんな口先だけの綺麗事を教えられたところでだれも尊敬なんか覚えません。
自分が全力を出し切っても勝てない相手がいる、その才能や努力や精神力を知ったときに本当に相手を尊敬するのです。
そしてもちろん、尊敬できる人間が多ければ多いほど、人生は楽しくなります。
その憧れの気持ちがあれば、ひとりで黙々とこなす練習でさえ孤独ではないでしょう。
このように格ゲーには、喜怒哀楽も心臓が震えるほどの感動もリスペクトもあります。
そしてそのすべてを、自己責任と実力主義によって思う存分独り占めできるんだから、
~格ゲーが最高の対戦ゲームである理由その③~
まとめ:なぜ格ゲープレイヤーは人格者なのか?
- 格ゲーは自己責任のゲームであり、勝利の美酒も敗北の苦渋も自分ひとりで味わえる
- 格ゲーは実力主義のゲームであり、運ゲーに一喜一憂するしょうもない時間が少ない
- 格ゲーは喜怒哀楽のゲームであり、自己責任と実力主義が相まって大きな感動がある
以上です。
あとこれは副次的な言及ですが、格ゲープレイヤーには人格者が多く、付き合いやすいと感じます。
格ゲーを長くやっている人間は、それだけ自己責任&実力主義の世界に慣れ親しんでいるわけですから、
まあその分、努力でどうにもならないデバイス間やキャラ差の有利不利については超敏感で、殺意の波動に目覚めているプレイヤーも多数見受けられますが……。
嗚呼、私がスト6でJP使ってるってバレたらどうしよう!
以上、まあでも対戦ゲームで明らかに強いキャラを使わないのは、「甘え」だよね。