あなたがエスパーじゃないなら考え続けるしかない。
~コミュニケーション能力とは~
- 説明
- 理解
まず人間は、どのような人であれ状態であれ、必ずなんらかの①「説明」を行なっています。
②「理解」とは、①「説明」を読み解く行為です。
コミュニケーション能力とは、①②「説明⇒理解」を発信または受信し、双方の利益に繋げる能力です。
~ケーススタディ~
コミュ力を誤解している人間は、いつでもどこでもだれにでも話しかけられる能力をコミュ力だと勘違いしていたりします。
が、「読書」⇒「話しかけるな」という説明だとしたら?
では以下目次です。
コミュニケーションとは「説明」と「理解」
~「読書中」は「何」を説明しているか?~
- 説明
- 理解
①「説明」において、「読書中」だけでは説明不足であり、理解もクソもありません。
Aさんは「読書中だから話しかけるな」と思っているのかもしれないし、「明らかに暇アピールしてるんだからだれか話しかけてこいよ」と思っているのかもしれません。
情報が不足するなかで、無理矢理答えを出す人間はコミュニケーション能力がありません。
すると今回、私とAさんは完全に知らない仲ではなく、私はAさんの趣味嗜好に思い当たる節があります。
そうだった、そういえばAさんは書淫系女子だった……!!
ちなみに「書淫」とは「読書に耽ること」「書物の愛好家」であり、「官能小説を読んで自慰に耽っている淫乱」的な意味はありません。
~不正確な理解~
ここでコミュ力のない人間の特徴をふたつ挙げると、ひとつはきちんと説明されているにもかかわらず、正確な理解をしない人。
「書淫」とは「読書に耽ること」「書物の愛好家」であり、それ以外の意味やイメージを誤解するべきではありません。
そしてもうひとつは、正確な説明をしない人。
~不正確な説明~
たとえば「本のページ」を「デリケートゾーン」だと表現するような説明は不正確であり、よくありません。
一般的に「デリケートゾーン」とは「女性の敏感な部分」です。
実際は書淫系女子の指は本のページをめくっているだけで、唇は黙読に釣られながら静かに呼吸しているだけでも、「デリケートゾーンをこすって快楽に耽っている」と説明されれば「淫乱」としか理解されません。
~不正確な謝罪~
- 説明
- 理解
などと政治家が謝罪しているシーンはお馴染みですが、①「説明」が不正確なのか、②「理解」が不正確なのかは見極めなければなりません。
説明が不正確なだけで理解は正確なのに、「誤解(不正確な理解)を招いた」とごまかしているバカで無能で幼稚な政治家は大勢います。
さてしかし、そうして説明や正確さを追い求めていけば、やはりひとつの結論にたどり着くでしょう。
~結論~
正解がないから動かない人はコミュ力が低い
~コミュニケーションには正解がない~
- 説明
- 理解
①「説明」が完璧で、②「理解」も完璧、そんな完璧なコミュニケーションはほとんど望めません。
大抵の場合、どちらも不完全です。
たとえば読書中のAさんの場合、
~不完全な説明~
話しかけてほしくないなら「話しかけるな」、話しかけてほしいなら「話しかけて~」と書いた張り紙でも用意して、背中と机に張っておけといいたい。
しかしいきなりAさんに「張り紙を張れぇ!」と要求すれば今度はこちらが説明不足になるし、そもそもAさんに話しかけてよかったんだっけ?
私たちがAさんを理解したければ、どうすればいいのか?
たしかに相手に話しかけるのがためらわれる場合、相手の様子を覗き見て判断材料にするのはありがちな対応です。
それで重厚なファンタジーや難解な哲学書の世界に入り込んでいれば、邪魔しちゃ悪いと判断できるし……。
偏差値下がりそうなラノベや漫画なら、没入感も浅そうだし話しかけてもよさそうと判断できる?
休み時間なんだから偏差値を下げて休むことが目的かもしれないし、そうだとすれば偏差値下がりそうなラノベ休憩や漫画休憩だとしても邪魔するのは悪い。
それに「本の表紙を覗く」という行為は、相手に気付かれれば話しかけているのと同じ状況を生みます。
いや、場合によっては話しかけるより悪いかもしれません。
~不完全な説明~
読書中のAさんからすれば、自分に話しかけても良いのかを判断するために覗かれているのか?
それとも、単なる好奇心かなにかで覗かれているのか?
まるで勝手にスカートめくられて中身を覗かれているような不快感を与えかねないし、
コミュニケーション能力がお互いに利益を得るための能力だとすれば、このお互いに不利益を被る不幸の連鎖は止めなければなりません。
そこで不利益の連鎖を止める方法として、真っ先に思い浮かぶ答えがひとつあります。
つまり、なにも行動しなければ、不利益は生まれないのでは?
コミュ力が高い人は計算で妥当な推論を導く
~コミュ力とは妥当な推論~
そこでコミュ力が高い人間はどうしているのかというと、利益と不利益の計算をしています。
理想をいえば、相手が話しかけてほしいときに話しかけ、相手が話しかけてほしくないときには話しかけない。
が、そんなふうに相手の思いや気持ちを100%理解できるのはエスパーだけなので、
たとえば覗き行為で考えると、スカートを穿いている女子は「中身を覗かれたくない」と説明しています。
そこでスカートめくりを行えば、「中身を覗かれたくない」という説明に反するので不利益をもたらす。
が、そこで覗き行為が許され、コミュ力が認められる場合があります。
~利益が大きい場合~
上記は典型的な「※ただしイケメンに限る」ですが、わかりやすいためイケメン無双で話を進めます。
イケメンは、優れた容姿で相手の利益を説明しています。
こんなイケメンにちょっかい出されて嬉しいでしょ?
こうしてイケメンにスカートめくりをされた女子は、快感が不快感を上回ります。
すると利益が勝るため、不利益の連鎖はストップします。
彼がスカートめくりで女子を喜ばせた場合、こう賞賛されるでしょう。
- 利益が大きい……コミュ力が高い
- 不利益が大きい……コミュ力が低い
彼のコミュ力とは、①「※ただしイケメンに限る」の但し書きを正確に理解し、利益を計算して行動に反映させる能力にほかなりません。
そこで彼のコミュ力を②「いつでもどこでもだれにでもスカートめくりができる能力」だと勘違いしたブサイクの末路は悲惨です。
ブサイクがイケメンの真似をしてスカートめくりに及べば、コミュ障のチー牛の犯罪者扱いを受けても文句はいえないし、
実際、だれにでも遠慮なく話しかけて仲良くなれるコミュ力お化けはいますが、彼もしくは彼女はそれに見合った特別な説明能力(見た目が美しい、話が面白い、雰囲気に華があるなど)を備えているから計算抜きでも上手くいっているだけです。
凡人が計算を怠れば、行動力しかないウザい陽キャ、あるいは酒に酔ってだれにでも絡んでいくウザいおじさんみたいにしかなれません。
もちろん凡人は、同時多発的に幾重にも織りなす情報交換(説明と理解)を処理しきれないし、正確な計算もできませんが、
それがスカートめくりや覗き行為のように、明らかな犯罪行為や迷惑行為なら推論も簡単でしょう。
しかし、犯罪でもなんでもない、読書中のAさんに話しかけるor話しかけない行為はどうなのか?
問題が難しくなればなるほど、人は思考停止をして「なんでもいいから話しかければいいじゃん」とか「なにもしなければいい」と安易な答えを出したがりますが、
まとめ:計算すればコミュ力も打率も上がる
- コミュニケーション能力とは、説明と理解の組み合わせで利益を生み出す生産能力である
- コミュニケーションは、究極のケースバイケースであり、正解はないが思考停止は禁物だ
- 正解がないからこそ、絶えず考え続ける人間が、計算高い人がコミュ力も高いと評される
以上です。
「コミュ力が高い人」⇒「計算高い人」、つまり計算で立ち回る人といえば、なんだか性格が悪そうで嫌なイメージがあるかもしれません。
が、人間だれしも計算を行なっています。
~計算の例~
上記の計算は、じつは「計算高い人」と見抜かれている時点で、その人はあまり計算高くないのでしょう。
だからいろいろボロが出ていて、それらを計算に組み込まれて「嫌な人だ」と結論づけられる。
本当に計算高い人は、計算だと悟られないように計算して、自然に立ち回っているはずです。
~思考停止の例~
- 行動力しかない
- 行動しない
本記事では、①「いつでもどこでもだれにでも話しかける人間」は、コミュ力が低いと定義します。
また、②「いつでもどこでもだれにでも話しかけない人間」もまた、コミュ力が低いと定義します。
このうち、後者の②「行動しない人間」は嫉妬を生みやすい。
~利益が大きい場合~
と思っている相手がいるとして、さらに自分がイケメンだとして、しかし状況や自分の強みを理解せずに行動しなければどうなるか?
本来生まれるはずだった利益を逃すので、機会損失(不利益)を計上します。
その不利益をもって「コミュ力が低い」とするわけですが、
こうして嫉妬は生まれます。
そんな陰キャになるぐらいなら、とにかくなんでもいいからバッターボックスに立ってバットを振れ、そうすれば運良く当たるかもしれないからという言説もはびこります。
しかし、本当に美味しい思いをしたいなら、なんでもいいからバットを振るのではなく、
なんにも考えずにバットを振り続けても打率は一生上がらないでしょう。
でも考えてバットを振れば、自分の能力の上限まで打率は上がります。
以上、コミュ力が高い人間もまた、考えてコミュニケーションの打率を上げているに違いありません。