人間を能力で区別することが許されるなら、年齢で区別することも許される。
~これまでのあらすじ~
しかし私は考え直しました、なぜ電車の乗客や駅員や警察など、大勢の人が赤ちゃんとその両親の味方をしたのか?
彼らは本当に全員差別主義者だったのか?
それとも、赤ちゃんには優しくして老人には冷たくする、真っ当で順当で正当で当たり前の合理的な理由があったのか?
そんなことは若返りに必死なオジサンオバサンから、年寄り扱いすると激怒するジジババまでみんな知っています。
なぜって、年齢と能力には関係があるから。
では以下目次です。
赤ちゃんには未来や可能性があるが老人にはない
~年齢と能力の関係その①~
さて、ここでいう「未来」とはもちろん、5秒先や5年先のことではなく50年先のことです。
仮に高齢者が70歳だとして、そこからさらに50年積んで120歳まで生きるのはほぼ不可能。
奇跡的に医学や介護の力で120歳まで生きられたとしても、
平均寿命とは「0歳における平均余命」のことで、2019(令和元)年の平均寿命は男性81.41歳、女性87.45歳です[1]。一方、健康寿命とは、「健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間」のことをいい、2019(令和元)年の健康寿命は男性72.68歳、女性75.38歳となっています[2]。2001(平成13)年から男性の方が女性より健康寿命は延伸しており、男女差も若干縮小しています【図1】。
ソース:平均寿命と健康寿命 – e-ヘルスネット(厚生労働省) – 2023年11月18日閲覧。
- 平均寿命……男性81歳、女性87歳
- 健康寿命……男性72歳、女性75歳
要するに、一人前の大人として、保護者や介護者抜きに生きられる時間があとどれだけ残っているか?
この点で、赤ちゃんには約50年の未来があり、老人は5年あるかも怪しい。
そしていま現在の私たち(人間)の目標は、とりあえずのところ、
だから未来のために、現代人の便利な生活を犠牲にしてでも、SDGs(持続可能な開発目標)とかに取り組んでいます。
私たちが地球の資源や人的資源や福祉を浪費し尽くしてハイ終わり、環境汚染だの食糧危機だの人手不足だのは未来の問題、未来の問題は未来の子どもたちで頑張れ~では許されません。
ちなみにSDGsには、
~ゴール③「すべての人に健康と福祉を」~
世界で5歳の誕生日を迎えることなく亡くなる子どもは年間500万人。その原因の多くは安全な水やワクチンがあれば防ぐことができるものです。
ソース:保健 | ユニセフの主な活動分野 – 日本ユニセフ協会 – 2023年11月18日閲覧。
具体的には、貧困国や途上国でろくに出産補助も育児支援も医療サービスも受けられず、6秒に1人ペースで命を落としまくっている赤ちゃんを救いたい。
もちろん「すべての人」には、劣悪な出産環境で命を落とす母親や、先進国のアル中や麻薬中毒の若者や老人も含まれます。
が、メインの救済対象は赤ちゃんや幼児であり、SDGsのどこの解説ページを見ても、
SDGsゴール③のメイン目標は、現代日本のように命懸けの出産が減り、赤ちゃんは無事に生まれるのが普通だしまあ70歳ぐらいまでは普通に生きるよね……的な価値観が形成される環境ではほぼゴール達成状態です。
ではなぜ、赤ちゃんの生存が主要な問題とされ、老人の生存は問題外なのか?
「あらゆる年齢のすべての人々の健康的な生活」と謳いながら、老人が見捨てられるのは差別なのか?
その能力と可能性を秘めた赤ちゃんを、老人より優遇するのは当たり前でしょう。
老人が無駄に長生きしても人類に未来はない。
老人を無駄に延命させても人類に未来はない。
~年齢と能力の関係その①~
赤ちゃんには生産性があるが老人には見込めない
~年齢と能力の関係その②~
さて、すべての答えはその①「未来を生きる能力」に集約されるため、あとはそのバリエーションです。
まあ具体例は何個あっても困りません。
赤ちゃんとは未来の可能性であり、言い換えれば「見込み」です。
赤ちゃんは成長すれば、やがて10代や20代や30代になり、出産に臨める身体になります。
つまり赤ちゃんには、次の赤ちゃんを生む生産性がある。
一方で老人は、たとえば70歳から子作りを始めようとしても、
老人は男性なら精子が、女性なら卵子が老化して劣化しきっているし、老女の場合は閉経していれば自然な妊娠出産は絶望的。
仮に子どもが持てたとしても、育児に必要な体力や精神力はもう残っていません。
いくら年齢で差別するなといっても、そんな戯れ言を人間の身体や生殖機能が聞くわけもないし、
~正しい身体の声~
これが身体の声であり、人類はこの声を無視することはできません。
だって、おまえはだれから産まれてきたんだって、出産時10代~40代ぐらいまでの親から産まれてきた人が大半でしょう。
いや、出産時70代~100代ぐらいの親から産まれてきましたがなにか? みたいな人間は、なにかもなにも取材したいので連絡してください。
その宝を生み出す人間の価値がまず第一に高い(私もあなたもその宝を生み出せる人間がいなければ生まれていない)。
だからといってもちろん、子無しは無価値だとか生産性がゼロだとか人権がないとかいう話はしていません。
0⇒1の生産が一番偉いとして、その1をサポートする役は老人でも独身でもLGBT(同性愛者など)でもできます。
老人の科学者は、科学の発展に尽くして、未来の子どもたちをサポートできるかもしれません。
独身の医学者は、医学の発展に貢献して、未来の子どもたちをサポートできるかもしれません。
LGBTの技術者は、技術の発展に寄与して、未来の子どもたちをサポートできるかもしれません。
すべては未来にも人が存在するから、偉業と呼ばれるんであり、人類が存続していなければ偉業と呼んでくれる人もいなくなります。
そしてその未来の人とは、もちろんいま生まれたばかりの赤ちゃんです。
あるいは、その赤ちゃんが生む赤ちゃんが生む赤ちゃんが生む赤ちゃんです。
老人も過去には赤ちゃんだったんだろうし、赤ちゃんを産んだり育てたりしたのかもしれませんが、もうその役目は終わりました。
お疲れさまでした。
もう赤ちゃんを生めないなら、潔く次代に席を譲るべきだし、老人と母子だったら母子が優先席に座るべきです。
~年齢と能力の関係その②~
赤ちゃんには能力も権利も権力もないが老害は?
~年齢と能力の関係その③~
- 自動車運転免許証
- 選挙権や投票資格
- 飲酒や喫煙の権利
そういえば、年齢と能力の関係を表すのにもっともふさわしい制度がありました。
まあ①②③どれでもいいし、④「雇用条件(年齢制限)」とかでもいいんですが。
私は今月、①【老人と車】のニュースを読み漁って知識をブーストしている最中なので、これでいきましょう。
~運転免許取得手続き~
もしも年齢と能力が無関係なら、運転免許取得時の年齢制限は撤廃するべきです。
子どもでもお金さえ支払えば自由に教習所に通うことができて、試験を突破した子どもには運転免許を与えるべき。
18歳未満といっても、高校生ともなれば平均的な大人以上の知能や動体視力や反射神経を有する人間も珍しくないだろうし、
でもそんな制限がまかり通っている理由は、差別(不当な区別)ではなく、正当な区別だという根拠があるからでしょう。
ではどこに正当性があるのか、能力ですよね。
運転適性検査も学科試験も技能試験も合格できる子どもがいたとして、でもその子どもには大人ならみんな備えている(とされる)豊富な人生経験も判断能力も責任感もない(とされる)。
と、我が国の法律が定めている以上は、我が国においては年齢と能力は不可分です。
そして子どもは運転の権利が得られない代わりに、保護の対象とされます。
どれだけ長時間車で移動する必要があっても運転は免除されるし、気を遣ってガソリン代とかも支払わなくていいし、むしろ公共交通機関の運賃などは子供料金(割引)で乗れます。
ヤバい、ちなみにヘミングウェイ『老人と海』は読んでいない(教養のなさがヤバい)。安田尊@老人と車を謳うブログ。でも私がヘミングウェイを読まなくても人は死にませんが、安田尊@危険運転を謳うブログ。ボケ老人が車を運転[…]
老人は、どれだけヤバい運転を連発して能力不足を露呈しても、一律で運転免許を取り上げられることはありません。
豊富な人生経験は色褪せ、判断能力は衰え、責任感は忘れてしまっても運転免許は失いません。
一応、高齢者向けの講習などは課せられますが……、
~運転免許更新手続き~
視力検査でミスったら一発剥奪でよくない?安田尊@老人と車を謳うブログ。こんにちは、前回の記事で、【老人虐待】高齢者に車を運転させるのは老人イジメです!暴走老人並みの暴論をぶん投げました。~これまでのあらすじ~安田[…]
↑未成年者が1度もチャンスをもらえないのに対して、高齢者の検査は何度でもチャンスがもらえる非常にゆるいものです。
そして老人は、その年齢(に基づいて有するとされる能力)に基づいて権利を失わない代わりに、保護の対象とされません。
公共の場所で、たとえば電車で、赤ちゃんと老人が同じぐらい不愉快な騒音を発していたとしても、
両者を分けているのは、年齢はもちろんですが、年齢に紐付いた能力と権利の有無です。
老人はいつまでも能力があると主張し、運転免許も選挙権も酒もタバコも手放さない。
であれば、その能力と権利に基づいて、たとえ責任能力を忘れるぐらいボケていても、
老化のせいでボケていたんだとしても、それはボケるぐらい長生きした老人の自己責任。
病気のせいで暴れていたんだとしても、それは治療もせず出歩いている老人の自己責任。
歩けないせいで車に乗るんだとしても、それでヤバい事故を起こしたら老人の自己責任。
少なくとも赤ちゃんは、ほかの親子を押しのけてまで優先席に座ったり、ふんぞり返ったりはしません。
能力がないのに車を運転して、母子を轢き殺したりもしません。
なぜ赤ちゃんが優しくされ、老人が冷たくされるのかは明白でしょう。
~年齢と能力の関係その③~
まとめ:年齢差別はないが能力差別はあるのか?
- 赤ちゃんには未来を託せるが、老人に未来は託せないので、赤ちゃんと老人の役割は違う
- 赤ちゃんには生産性があるが、老人には生産性がないので、赤ちゃんと老人の価値は違う
- 赤ちゃんには権力がないが、老害は権力を手放さないので、赤ちゃんと老害の待遇は違う
以上です。
というわけで、私たちが赤ちゃんを優遇し、老人を冷遇するのは年齢差別ではないようです。
が、しかし本記事で延べた「能力評価に基づいているからセーフ」理論に則れば、
あらゆる能力は年齢に紐付いているのであり、そりゃ男が年増より若い娘を好むのにも正当な理由があります。
会社が定年間際のジジババより若者を欲しがるのも合理的な判断です。
以上、そこで能力区別は能力差別かという話に繋がるわけですが、それはまた今度時間があるときに気が向いたらね(いまはどっちもない)。