人間は、ただ生きているだけでは価値がない、というのが私の考えです。
でも、ゲームアプリ『ウマ娘』をプレイしている時、ふと閃いた!
人間は、生きているだけで素晴らしいかもしれない!
どういうことかご説明しましょう。
「人間は、生まれた時点でレースに勝利している」
ということです。
しかし、私の頭のなかにはフランスの哲学者、ルソーもいて、
生きるとは呼吸することではない。
行動することだ。
と、ささやいてきます。
ごめんなさい、いきなり『ウマ娘』からルソーに繋げるなんて、混乱しますよね。
私も混乱しています(ワケワカンナイヨー!)
というわけで今回は、この混乱を整理するために、本記事を書くことに決めました。
では以下目次です。
ルソー「生きるとは呼吸することではない。行動することだ」
まず始めに、なぜ私が「生きているだけでは価値がない」論者なのかを整理しましょう。
生きるとは呼吸することではない。
行動することだ。
とはフランスの哲学者、ルソーの言葉ですが、呼吸自体に価値はないということです。
もちろん生物学的には、呼吸することができれば、「生きている」といえるでしょう。
しかしルソーにいわせれば、「行動」……それも呼吸や食事や排泄や睡眠といった生命を維持するためだけの活動ではなく、「価値ある行動」が伴わなければ、生きているとはいえない。
「生きている」と胸を張っていえる「価値ある行動」を支えるからこそ、呼吸や食事といった生命維持活動にも価値が宿るというわけです。
したがって、
単に呼吸を繰り返して飯を食らってクソして寝るだけの人生に価値などない
と、私は考えます。
だから私は、病気や老化で寝たきりになるぐらいなら、死んだほうがマシだと思っています。
ベッドの上でチューブに繋がれて、かろうじて呼吸を繰り返して、点滴や流動食を流し込まれて、下の世話まで他人に丸投げして、自分はただ生きながらえているだけだなんて、まっぴらごめんです。
そして寝たきりになっていなくても、同じぐらい生産性のない「食っちゃ寝」の人生などは、無価値だと思っています。
競走馬(ウマ娘)はG3を1勝でもすれば名馬
次に「ウマ娘」の「価値ある行動」に目を向けてみましょう。
「ウマ娘」――彼女たちは、走るために生まれてきた。時に数奇で、時に輝かしい歴史を持つ別世界の名前とともに生まれ、その魂を受け継いで走る。それが、彼女たちの運命。この世界に生きるウマ娘の、未来のレース結果は、まだだれにもわからない。彼女たちは走り続ける。瞳の先にある、ゴールだけを目指して――
と、アニメ版の冒頭で語られるように、競走馬が萌えキャラ化&女体化して転生した「ウマ娘」の至上命令はレースに勝利することです。
つまり、
レースに勝利することが、ウマ娘の生きる意味であり価値
です。
しかも競馬に準じているため、ウマ娘たちの「勝利」とは、「1着でゴール」のみを指します。
しかし逆にいえば、1度でもレースに勝利すれば、そのウマ娘の生きる価値は認められます。
実際、現実の競馬を参考にしても、新馬戦や未勝利戦でも勝利できる競走馬は一握りです。
大半は未勝利のまま引退するか、新馬戦や未勝利戦の舞台に立つことすらなく終わります。
それなのに、さらにその先の重賞(G1~G3)レースで勝利なんていう偉業を成し遂げれば、
たとえ生涯1勝でも、ものすごく価値があること
だといえるでしょう。
『ウマ娘』をプレイしていると、G1以外は重賞にあらず……というか、G1も勝って当たり前、
- クラシック3冠(皐月賞、日本ダービーこと東京優駿、菊花賞)
- 春シニア3冠(大阪杯、春の天皇賞、宝塚記念)
- 秋シニア3冠(秋の天皇賞、ジャパンカップ、有馬記念)
全部獲って当たり前、みたいな風潮がありますが、それは所詮ゲームです。
現実には、G3でも1勝すれば、間違いなく名馬。
つまり、現実とゲーム両方でネタキャラと化しているツインターボなども、G3勝利馬の時点で普通に名馬です。
私たちは「受精レース」で優勝を果たしている
ところで、「レースに勝利」といえば、私たちはレースに勝利したからこそ存在しています。
つまりみなさん、「受精レース」を経て生まれてきていますよね?
人間が通常、妊娠する際は、
- 排卵
- 射精
- 受精
- 着床
というステップを踏む必要があります。
このうち、②「射精」⇒③「受精」の間に、何億もの精子が卵子を目指して出走する「受精レース」が開催されます。
そして、最初にゴールした1着の精子のみが、卵子と結ばれて受精卵となります(双子や三つ子など、特殊なケースは除きます)。
つまり、
私たちは生まれることができている時点で、「受精レース」の勝利者である
という証明が完了しています。
そしてこの1勝は、競馬でいえば東京優駿(日本ダービー、G1最重要級レース)を勝利するレベルの価値があります。
新馬戦ではありません、なぜなら新馬戦は敗れても次のチャンスがありますが、「受精レース」は一発勝負だからです(日本ダービーも一発勝負)。
しかも「受精レース」の場合、私たちは勝利していなければ生存を許されていないわけですから、人生において「受精レース」より重要なレースはありません。
「受精レース」に敗れていれば、人生は始まる前に終わっています。
しかし私たちは勝利し、誕生し、生きています。
したがって、人間は生きているだけで勝ち組です。
生きているだけで偉いです。
生きているだけで、素晴らしいのです。
まとめ:生存競走と無事之名馬
それではおさらいも兼ねて、ここまでの要点を3点でまとめます。
- 私のヒミツその①「実は、人間は生きているだけでは価値がない、と思っている」
- ルソーの名言その①「実は、生きるとは呼吸することではない。行動することだ」
- でも『ウマ娘』をプレイしている時、ふと閃いた!「無事之名馬」かもしれない!
以上です。
私の価値観や、ルソーの格言と、私が『ウマ娘』から得た知見は矛盾しません。
競馬関連の格言に、
「無事之名馬」
というものがあります。
無事に走る馬は、少しぐらい能力で劣っていても名馬だ、という言葉です。
私たちも、
- 無事に「受精レース」を勝利
- 無事に誕生することができた
- 無事に呼吸することができる
とすれば、それだけで名馬みたいなものかもしれません。
「だれでもできる」なんて言葉は嘘で、現実には呼吸も食事も排泄も睡眠も早寝も早起きもできない人間はいます。
しかし同時に、
誕生や呼吸はスタートラインで、「受精レース」という名の生存競走の新人戦を勝利したにすぎない
というのまた事実です。
たしかに受精レースに勝利し、スタートラインに立てたこと自体は、素晴らしいことです。
でも私たちの横に並ぶのもまた、同じく受精レースに勝利し、誕生し、呼吸するライバルたちです。
受精レースのあとも、生存競走は続きます。
私たちは呼吸の価値を認めつつ、しかし勝ち取った呼吸を無価値にしないために、さらなる行動と飛躍を目指す必要があるのでしょう。
以上、【勝利ッ!】人生はただ生きているだけでも価値がある理由でした!