そんなものはない。
~大金持ちの不満~
~若者女性の不満~
~大谷翔平の不満~
まあ、大谷翔平選手がこんな不満を抱えているかどうかは知りませんが(大衆に対しては、むしろプライベートは放っておいてくれと思っているでしょうが)……。
大谷翔平を見れば、みんな話題にするのは金や成績、身につけている時計のことばかり。
なんなら大谷翔平だけではなく、通訳の水原一平氏の時計まで気になる始末。
- ソース1:大谷会見 「時計が気になる」「グランドセイコー」が話題に ファン親近感「私も愛用してます」「日本人の宝や」 – Yahoo!ニュース – 2023年12月25日閲覧。
- ソース2:大谷翔平、会見中の左手首に視線集中「ギラギラしていない。好感度UP」「一平さんのも気になる」 – Yahoo!ニュース – 2023年12月25日閲覧。
- ソース3:大谷会見で通訳・水原一平が着用した時計はどこの? – Yahoo!ニュース – 2023年12月25日閲覧。
だからしょうもない自分を隠したい人ほど、「ギラギラ」やロゴマークまみれのみっともないブランド品を見せつけて周りの目を欺くわけですが、そうしたくない人はどうすればいいのでしょうか?
“自分”を見てほしい人はどうすれば?
では以下目次です。
大谷翔平を見るとき大谷翔平の持ち物を見ている
~大谷翔平=大谷翔平の持っているもの?~
- 国籍
- 年齢
- 性別
- 身長
- 体重
- 職業
- 収入
- 容姿
- 性格
- 経歴
①「日本国籍」を持っている大谷翔平を見て、自分も同じだとか日本の誇りだとか思う日本人は多い(時計ですらそう思う。ソースは本記事冒頭)。
④⑤「身長193cm体重95kg」を見て、やっぱり⑥「野球」はフィジカルだとか③「男」は身長だとか思う人も多い。
②③⑧⑨「好青年」で、⑥⑦「10年で1000億円稼ぐメジャーリーガー」、
大谷翔平ファンの多くは、そう思って大谷翔平を見ているはずです。
つまり大谷翔平の持っているものを大谷翔平として見ています。
まあそれが大谷翔平だからね、と思われるかもしれませんが、先の金目当てと身体目当ての例を思いだしてください。
それは「大谷翔平の持っているもの」を「大谷翔平の能力」と言い換えても同じです。
たとえば大谷翔平は、①「日本国籍」を持っているから、日本国民が受けられるあらゆる権利を主張する能力も認められます。
そして大谷翔平を応援している日本人のみなさんも、日本国籍は持っているはずですが、
と、謎の外国人が求婚してきたら、アナタはどう思いますか?
この謎の外国人は、アナタを見てくれて、アナタを好いてくれているのでしょうか?
いや、この謎の外国人が見ているのは「日本国籍」⇒「アナタが持っているもの」であって、
だからたとえば、よくあるストーリーとしては、アナタはこの謎の外国人と恋に落ちます。
そして親の反対を押し切り、周囲の忠告を無視し、駆け落ちすると決めます。
でもこの謎の外国人は、アナタではなく、アナタの持っているものが目当てなので、
日本国籍を失った日本人は、金を失った金持ちであり、若さと美貌を失った女です。
野球を失った大谷翔平、将棋を失った藤井聡太、フィギュアスケートを失った羽生結弦です。
しかし、それこそがアナタだとすれば、
ディオゲネスではなく「偉大な精神」を見ている
~すべてを捨てた男~
- 人間の富
- 人間の名声
- 人間の暮らし
古代ギリシャの哲学者ディオゲネスは、①②③「人間」を捨てて、犬のように暮らしたことで有名です(犬儒学派)。
つまりホームレスで、自分の食器すら持たず、なんかそのへんに落ちていたと思われる犬小屋以下の甕(樽)に住んでいました。
その甕もホームレス狩りに破壊されたり、かと思えば別の甕を恵んでもらったりといった有様で、
さて、そんなディオゲネスのようになれば、私たちは自分の持ち物ではない”自分”を見てもらえるのでしょうか?
大谷翔平を引き合いに出すまでもなく、私たちと比べても圧倒的になにも持っていないディオゲネスのようになれば?
しかし、ここまででも、ディオゲネスの持ち物はたくさんありました。
- シノペのディオゲネス
- 犬のディオゲネス
- 甕のディオゲネス
①「シノペ」はディオゲネスが生まれたトルコの地名で、②「犬」③「甕」についてはすでに説明したとおりです。
すべてを捨てたディオゲネスでさえ、自分の生まれた土地の名前は捨てられなかった。
「犬の」という蔑称も捨てられなかったし、「甕の」という愛称も捨てられなかった。
そりゃあ約2400年前から有名人なんだから、大谷翔平が持つ知名度なんかディオゲネスの足下にも及びません。
そして私たちがディオゲネスを語るときには、ディオゲネスが持っているものを見て語るしかない。
ディオゲネスの名前、ディオゲネスの哲学、ディオゲネスの面白エピソード……。
~セネカが語るディオゲネス~
同じく有名哲学者、セネカはディオゲネスについてこう語っています(セネカ『人生の短さについて』)。
「偉大な精神の持ち主である」と、やはりディオゲネスの持ち物を見ています。
そしてみんなの持ち物と比べて、家や財産を奪われるのは不幸だが、奪われないものしか持たないディオゲネスは王様よりも王様らしいと述べます。
しかし前述したとおり、ディオゲネス自身は人さらいに盗まれているし、傷つけられています。
でも、ディオゲネスの「偉大な精神」を取り上げることはだれにもできないんだから、ディオゲネスは幸せでしょ?
そう語るセネカは、ディオゲネスの持ち物がどこにあるかは気にかけているけど、ディオゲネスがどこに消えたのかは気にもしない。
といわれても正直、金持ちの富に心奪われるのも、ディオゲネスの精神に心奪われるのも大差ないでしょう。
どちらも他人の所有物に羨望の眼差しを向けていることに変わりはありません。
それより、ディオゲネスの行方に心が奪われないとしたら、きみは自分が恥ずかしくはないだろうか。
ディオゲネスには目を向けなくていいのだろうか?
行方不明のディオゲネスはどうなったんだ?
一説によれば優秀な奴隷(家庭教師、家政夫)として主人を喜ばせたらしいが、不死らしい神々とは違ってディオゲネスは死ぬはずだし、どういう最期を迎えたのか見た人はだれもいないのか?
かわいそうな人だと思う。
みんな、ディオゲネスの哲学や持論、「偉大な精神」については見てきたように語るのに……。
ディオゲネスがどこに消え、いまどこにいるのかはだれも見ていない。
黄月英に学ぶ!「本当の自分」は「別の持ち物」
~本当の自分とは、別の持ち物?~
ちなみに中国史上最高レベルの天才軍師、諸葛孔明の妻です。
ではなぜ天才軍師は、ブサイクな黒ギャルを妻にしたのか?
黄月英は、のちに天才軍師を陰で支えたといわれるレベルの才女であり、
いや、逆です……美女が、とんでもねぇブサイク黒ギャルに化けていたのです。
黄月英は、自分を見た目で判断する男とは結婚したくなかった。
そこで、とんでもねぇブスを装って、本当の自分を見てくれる男を探した……、
史実としては、「諸葛孔明の妻で、黒ギャルのブスだけど頭良かった」ぐらいの内容しか記録に残っていません(名前「月英」も創作で、正確には「黄氏」「黄夫人」までしかわかっていません)。
しかしここで重要なのは、史実か創作かではなく、語られているストーリーです。
史実でも創作でも、
という欲求が存在したから、黄月英のストーリーは存在します。
そしてその「本当の自分」とは、ディオゲネスの「偉大な精神」と同じです。
黄月英が、いくら美しい顔面を捨てたところで、
となれば、いよいよ認めるしかないのかもしれません。
その人の見た目も中身も、その人の持ち物である。
つまり”本当の自分”とは、”自分の持ち物”である。
~これまでのあらすじ~
金持ちは、そのお金を含めて金持ちである。
女性は、その身体を含めて女性である。
どうせ金目当て、身体目当てだという不満は、
どの持ち物を「本当の自分」とするか、そこの認識が自分と他人で食い違っているから、不満に思うだけで……。
「本当の自分」なんて、自分ですら見ていない。
見ているのは、持ち物だけ。
↑神々を見れば、「天」という持ち場が見えるはずだし。
「なにも身につけていない」全裸を身につけているし。
「なにも所有していない」状態を所有している。
だから”自分”とは、どこまでいっても”自分の持ち物”でできています。
その持ち物のうち、どれが本当でどれが嘘か、なんて違いはありません。
すべての持ち物が自分なんだから、
まとめ:いや「持ち物」=「持ち主」はおかしい
- 大谷翔平といえば日本人で野球選手で契約金1000億円で、私たちは大谷翔平ではなく、大谷翔平が持っているものを見ている
- ディオゲネスはほとんどすべてを捨てたが、名前や哲学や生き方は捨てられず、「偉大な精神」の持ち主として見られている
- 黄月英は顔を隠して才能を見せたが、顔も才能も黄月英の持ち物であり、「本当の自分」とやらは「別の持ち物」でしかない
以上です。
というわけで、自分とは自分の持ち物であることが判明しました、パチパチパチパチ(拍手)……。
って、そんなわけない。
~これまでのあらすじ~
- 持ち物
- 持ち主
①「持ち物」が大谷翔平なわけないでしょ?
②「持ち主」が大谷翔平なんでしょ?
でも、②「大谷翔平」から①「持ち物」を限界まで剥ぎ取ったとして、「すべてを失った状態しか持っていないかつては大谷翔平と呼ばれていた持ち主」まで追い込んだとしても、
結局私たちに見えるのは、「すべてを失った状態」までで、その持ち主までは見えていない。
「すべてを失った状態」で思いだすのは、すべてを疑った男デカルトです。
あの哲学史上最高に有名な言葉、
~哲学者デカルトの名言~
- 我……持ち主
- 思う……持ち物
っていうけど、①「我」どこから湧いてきたんだって話だし、②「思う」は我から湧いてきているんだから我の持ち物でしょ?
で、②「思う」は見えるかもしれないけど①「我」は見えない、これどうしたらいいんだろう……?
ん~~~~~~~~、
無理だ。
持ち主と持ち物は違うけど、私たちに見えるのは持ち物だけなんだから、持ち物を自分やアナタや大谷翔平として見なすしかない。
以上、「本当の自分を見てほしい」だなんて、あんまり無理難題をいうのはやめましょう。