ありがとう、ありがとう……!!
~これまでのあらすじ~
- 美貌
- 才能
上記は①「美貌」を隠して②「才能」を見てもらおうとした黄月英の話ですが、いずれにしても①②「黄月英の持ち物」である点は同じです。
①「見た目」か②「中身」か、どちらを本当の自分とするかは見方次第で、どちらでも正解であり間違いではない。
つまり黄月英とは逆で、②「中身」ではなく①「見た目」で判断してほしいと思っている人もいるはずだし、
なんだ良かった、この美しい世界を見た目で評価してもいいんだ!
そもそも外見と中身は表裏一体で、醜くあろうとする顔面が才能の表れであるように、美しくあろうとする姿もまた内面の表れである。
では以下目次です。
日本の可愛いコスプレ文化はルッキズムである
~今年のルッキズム振り返り(国内編)~
といっても、私はコスプレには参加していませんが……。
ネットで知り合ったコスプレーヤーAさん(仮名)に、このイベントに参加するからきてくれるならオフで会えるよ近くに住んでるんでしょと誘われて、近くっていうかまあそこに住んでるねって感じだったので会いに行きました。
コスプレ街遊びイベントとは、
まず拠点となる専用の施設や更衣室が用意されて、そこで着替えて街に繰り出します。
当日は周辺の協賛エリア(商業施設やお寺や館)がコスプレ入場を許可していて、コスプレのまま堂々と街歩きや食べ歩きや物見遊山が楽しめます。
一部のエリアではその日だけ特別にコスプレ撮影が許可されていることもあって、撮影目当てのガチコスプレイヤーも多数参加します。
普段は黒髪や茶髪や白髪(老人)がほとんど、まあたまに金髪、稀にピンクいるな~ぐらいの割合です。
でもこの日は、普通に赤髪とか青髪とか銀髪(五条先生)がバンバン歩いていました。
ピンクと緑と水色とオレンジが並んで歩いている……!!
これは私の独断と偏見ですが、だいたい頭おかしい髪色をしている人って、一匹狼タイプが多い気がします。
普段街中で見かけるとき、だいたいぼっちで行動している割合が多い気がします。
私はそれを見て、頑張れ、君は群れから外れることもかまわずに自己表現に邁進している……と内心褒め称えていますが(いや心のなかで褒めるだけじゃなく、なんかエスカレーターの脇に突っ立って並んでいる長い列が途切れるのを遠慮がちに待っていたりしたら私の前に入れてあげるぐらいの親切はしますが)、
なんかマクドナルドでハンバーガー買って外で仲良く食っていました。
それに比べると私の隣は、スマホゲーム『原神』のコスプレで、髪色は大人しくカラコンも入れていませんでした。
でも衣装は、ハンバーガーなんか食ってちょっとでもタレこぼしたら終わるから食えないぐらい綺麗で作り込まれていて、
みたいになって、イベント終わって着替え終わったらハンバーガー奢ってあげようと思いました(実際は焼き肉食べ放題&飲み放題を奢らされた)。
まあでも、それはそうです。
周りを見渡せば、あの金髪学ラン女子は『東京卍リベンジャーズ』のマイキー君だし、あのオレンジ髪の制服女子は『新世紀エヴァンゲリオン』だし、黒髪に青いユニフォームはたぶん『ブルーロック』の主人公だし、
私は(上記に挙げたなかでは)アニメ版『東リベ』の途中までしか見ていませんが、有名キャラならみんな一目でどのキャラをやっているのかがわかりました。
『原神』や『ブルアカ』など、未プレイのスマホゲームのキャラはさすがに訊かないとわかりませんが、気合いが入っているのだけは一目見ればわかります。
日本の街中で見かける剣と魔法のファンタジー的なひらひら衣装、セーラー服着たおじさん(たぶん有名人だけど本物?)、スパイダーマン(たぶん偽者)、
私は奇妙な色彩にすっかり魅了されました。
美しい色、綺麗な人を見れば心が躍ります。
まるで自分が美容室で髪を切ったり、髪を染めたり、新しいヘアセットやメイクを覚えたり、
その衣装を着こなす努力、その色を合わせるための努力に感情移入して感動します。
私も頑張らなきゃ、と思わせてくれることに感謝します。
人間は自分の姿を見ることができないので、他人の姿を見て学びます。
美もオシャレも清潔感も他人から学んだはずです。
どうすれば新鮮な気持ちを味わえるのか、どうすれば自分を好きになれるのか、どうすれば誇らしげに歩けるのかは美しい隣人が教えてくれます。
もしも世界が灰色だったら、黒髪と白髪ばかりで、黒や紺やグレーを合わせる色褪せた人間ばかりだったら、
ぶなん【無難】
ソース:岩波 国語辞典 第七版 新版 – 株式会社岩波書店
〘名・ダナ〙これと言った特色はないが、格別非難されるような点もないこと。平凡でまずまず無事といったものであること。「―な人選」「一生を―に過ごす」
特色のない世界より、特色のある世界のほうが楽しいに決まっています。
楽しくない世界より、楽しい世界のほうが生きたいに決まっています。
だから私は、この日特別に色鮮やかだったコスプレイヤーたちに感謝しています。
海外の色鮮やかな部族や民芸品もルッキズムだ
~今年のルッキズム振り返り(海外編)~
最近チョコレートに可能性を感じている話を友人のAさん(仮名)に話したら、じゃあ本場のチョコを食べないとねといわれて旅行に付き合わされました。
私がチョコに感じている可能性は、砂糖やカフェインやポリフェノールやテオブロミンであって、エナドリの代わりになればいいので本場とか味とかはわりとどうでもいいんですが……。
まあ付き合うことにして、そこがチョコの本場かどうかも知らない国に降り立つと、
そこは普通に市街地のど真ん中でしたが、先住民族や遊牧民っぽいグループが何種類か集まり、合同イベントを催しているようでした。
顔面に部族的メイクを施した売り子たちが、部族出張ブースみたいな売り場に立ち、部族グッズなどを販売しています。
そのなかのひとりは、孔雀みたいな青基調に黒緑赤が滲んだ複雑な模様のTシャツを着て、下は普通のブルーのジーンズを穿いて、
そして時折、どこかから流れるBGMに合わせて、腰をゆらゆら揺らして踊っていました。
腰の揺れはゆったりなのに、尻尾は犬が喜んでいるときみたいにフリフリ振られていて、緩急のコントラストについ見入ってしまいます。
でもいくら私が日本人でも、腰やお尻ばかり見ている変態民族ではないぞと視線を上げると、そこには太陽の恵みを十分に吸収したと思われる部族スマイルがあり、
たしかに、ギターだってピアノだって顔で弾くんだし、ダンスが顔で踊らないわけないよな……。
と思いながら、私の足はその部族ブースを通り過ぎる前に止まってしまいました。
旅行をするときの連れは、こういうときに一緒に足を止めてくれる人に限ります。
部族的売り場には、もちろん部族的仮面が飾ってあり、ほかにも衣類やバッグやアクセサリーなどが並べられています。
そして、うっかり哲学的思索に入りかけた私の思考を止めたのは、服でした。
踊る売り子さんが着ているのと同じ、青黒緑赤の孔雀じみた、でも模様が違うTシャツがディスプレイされていて、
見た感じ、孔雀Tシャツは売り子さんが着ているのとディスプレイされているやつの2着だけで、ほかには置いてありません。
現代風にいえば、店員さんとマネキンだけが着ており、それを脱がして売ってくれるのか……?
ああすみませんこれ展示品なんで売れないんスよ~のやつじゃないのか……?
旅行をするときの連れは、こういうときに私の代わりに行動力を発揮してくれる人に限ります。
というか、行動力がある人間に私が連れにされているんですが。
私を連れてきたAちゃんは、拙い英語にもかかわらず果敢に売り子さんへと話しかけ、
わかります、日本人だって日本語とカタカナ英語を混ぜた謎の言語を喋っているので。
でもその事情はわかりますが、なにを喋っているのかはガチでわからないし、スマホで翻訳するのも難しい。
だから以下は断片的な英語や店内の状況やポスターの情報などをまとめた不正確な情報ですが、
みたいなやりとりがあり、最終的には通貨という共通言語で分かり合えました。
ちなみにあとで調べたところ、たぶん「青い鳥」は孔雀ではなく、オウギバトかそれに近い鳥でした。
そして私はいまその部族Tシャツを眺めながらこれを書いているわけですが、
とうとう私も……薄っぺらい人間は高級ブランドのロゴしか取り柄がない薄っぺらいTシャツに高い金払わされるのがお似合いだと笑っていた私も、部族というブランドに高い金払ってしまった……。
いや、私は部族というブランドに高い金を払ったわけではありません。
旅行の思い出でもないし、円安のせいにもしません。
私の目を奪ったのは、私の足を止めたのは、私の財布の紐をゆるめたのはなにか?
部族の人の踊りであり、格好であり、顔です。
笑顔であり、青いシャツであり、尻尾です。
同じシャツでも、陰気な顔して椅子に座っている人が売っていたら、私は買わなかったでしょう。
いや、笑顔でも踊っていても、肌が白いだけで私は買わなかったかもしれません。
あのチョコレートみたいな肌の色、別の言い方をすれば、
そうだよね、人間ってもっと自由でいいんだよね、と思わせてくれるその姿に感動しました。
人間はマンモスになりながら、青い鳥にもなれる。
牙を研いだ動物が強さを手に入れるように、美しく踊った鳥が愛を手に入れるように、
ルッキズムの存在価値と生産性を肯定するべき
~素晴らしきルッキズム世界~
家族にろくに風呂に入らず、髪やひげがボサボサの浮浪者みたいなやつがいたら気分が落ち込みます。
職場で華美な服装が許されず、白黒の人間ばかり目についたら葬儀場に就職したのかと勘違いします。
外で見かけるのが灰色の人間ばかりなら、街は色づかず活気づかず、この世の終わりだと絶望します。
個人の仕事内容が同じに見えても、営業成績が同じに見えても、綺麗な人は周囲のモチベーションを上げています。
見苦しい人は周囲のモチベーションを下げています。
職場に生きた芸術品があればみんな一目見ようと出勤してくるんだし、みんなを活動的にさせる人とそうでない人の生産性は同じではありません。
意味する内容が同じでも、綺麗な字と汚い字は違います。
綺麗な言葉と汚い言葉は違います。
それなのに、人の見た目だけは、美人もブサイクもダイエットを頑張った人も怠惰なデブもメイクやオシャレを勉強した人も不勉強な人も色鮮やかなコスプレイヤーも灰色の人も世界にひとつだけの服を着ている部族も全身ユニクロ人間も、
私は美人は美人として扱うし、ブサイクはブサイクとして扱います。
コスプレイヤーが困っているところに通りがかったら助けるかもしれないけど、灰色の人間が困っていても助けないかもしれません。
部族のTシャツには3万円出しましたが、普段はTシャツなんて3000円で十分です。
まとめ:かわいいは正義!見た目も能力のうち
- 日本でコスプレイベントに参加したが、目の保養は精神の保養であったし、コスプレイヤーには感謝を捧げたい
- 海外で部族イベントに参加したが、見た目で気を惹くのは人間の原始的営みだったし、部族にも感謝を捧げたい
- 見た目が違えば、見た目が周囲に与える影響も違うんだし、悪影響より好影響が評価されるのは当たり前である
以上です。
能力で人を評価しても良いなら、見た目はもちろんその人の能力です。
人より美人に生まれたとしても、その美を活かしたり磨いたり維持したりするためには努力や勉強が必要だったはずであり、
低学歴なモデルがいたとして、でもそのモデルは食事や栄養やダイエット、美容の知識と実践はそのへんの高学歴より優れているかもしれません。
同じ勉強でも、学校のお勉強しか評価しないのはそれこそ差別でしょう。
以上、私はコスプレの勉強も部族の知恵も評価するし、可愛ければ多少のバカには目をつぶります(かわいいは正義!)。