日本昔話『さるかに合戦(猿蟹合戦)』とは、
安田尊@『さるかに合戦』を謳うブログ。です。
つまり『さるかに合戦』から得られる教訓は、
安田尊@『さるかに合戦』を謳うブログ。です。
しかし現代(2021年、令和)の価値観に照らせば、「復讐」はあまり推奨されません。
そこで『さるかに合戦』を子どもなどに教えるとき、学んでほしい教訓は2パターンに分岐します。
- 「復讐」は、たとえよくないものでも、やるべきときにはやっちゃえ、復讐
- 「復讐」は、よくないものだから、やるべきときでもあんまりやるな、復讐
本記事では、圧倒的に①「やっちゃえ、復讐」を支持するため、①について解説します。
②「あんまりやるな、復讐」は『さるかに合戦』ではないので、別の物語でやってください。
では以下目次です。
日本昔話『さるかに合戦』の簡単なあらすじと要約
安田尊@『さるかに合戦』を謳うブログ。以下ではもう少し詳しく、『さるかに合戦』のあらすじを見てみましょう。
なお後述しますが、昔話にはバリエーション(伝承の過程で細部が変化した話)がいくつもあるため、以下はそのうちのひとつとお考えください。
~さるかに合戦~
安田尊@『さるかに合戦』を謳うブログ。
安田尊@『さるかに合戦』を謳うブログ。
安田尊@『さるかに合戦』を謳うブログ。
安田尊@『さるかに合戦』を謳うブログ。
安田尊@『さるかに合戦』を謳うブログ。
安田尊@『さるかに合戦』を謳うブログ。
安田尊@『さるかに合戦』を謳うブログ。
安田尊@『さるかに合戦』を謳うブログ。
安田尊@『さるかに合戦』を謳うブログ。
安田尊@『さるかに合戦』を謳うブログ。
安田尊@『さるかに合戦』を謳うブログ。
安田尊@『さるかに合戦』を謳うブログ。
安田尊@『さるかに合戦』を謳うブログ。
安田尊@『さるかに合戦』を謳うブログ。
安田尊@『さるかに合戦』を謳うブログ。
安田尊@『さるかに合戦』を謳うブログ。
安田尊@『さるかに合戦』を謳うブログ。
安田尊@『さるかに合戦』を謳うブログ。
安田尊@『さるかに合戦』を謳うブログ。
安田尊@さるかに合戦を謳うブログ。
安田尊@『さるかに合戦』を謳うブログ。
安田尊@『さるかに合戦』を謳うブログ。
安田尊@『さるかに合戦』を謳うブログ。
安田尊@『さるかに合戦』を謳うブログ。
安田尊@『さるかに合戦』を謳うブログ。
安田尊@『さるかに合戦』を謳うブログ。
安田尊@『さるかに合戦』を謳うブログ。
安田尊@『さるかに合戦』を謳うブログ。
安田尊@『さるかに合戦』を謳うブログ。
安田尊@『さるかに合戦』を謳うブログ。以上が日本昔話『さるかに合戦』のおおまかなストーリーです。
ちなみにもちろん、「自爆テロ」などの表現は現代風にアレンジしたものです。
日本昔話『さるかに合戦』に学ぶ「復讐」と必要悪
安田尊@Questionを謳うブログ。
安田尊@Answerを謳うブログ。繰り返しますが、現代日本の価値観に照らせば、復讐は悪と見なされます。
だれだって、自分や自分の子どもが復讐に手を染める未来を望みはしませんよね。
しかし時に復讐は、必要です。
なぜなら、私たち人間が暮らす社会にも、
安田尊@加害者を謳うブログ。が存在します。
そして、
安田尊@被害者を謳うブログ。
安田尊@被害者遺族を謳うブログ。も存在します。
言い換えれば、
- 極悪非道な加害者と、
- 犠牲になった被害者
が存在します。
さて、では自分が「被害者」側に立ったとき、はたして「復讐は不要」だといえるでしょうか?
ちなみに上記の泣き寝入りっぽいイラストには、
安田尊@被害者遺族を謳うブログ。と題していますが、『さるかに合戦』は昔話らしく、いくつかのバリエーションがあります。
- 大怪我をした母親ガニがそのまま死亡してしまうパターン
- 暴れん坊のサルとは和解せず、山or現世から追放パターン
- 「牛の糞」が仕返しに参戦するパターン(牛の糞が!?)
などを含むタイプが『さるかに合戦』として広く知られるようになった物語です。
本記事の「あらすじ」でご紹介したパターン、
- 母親ガニがちょっと怪我をするだけで回復するとか、
- カニが暴れん坊のサルを許して和解を提案するとか、
- カニも暴れん坊のサルも仲良くハッピーエンドとか、
↑こうした甘い展開は、全部子ども騙しのアレンジです。
でも私たちが本当に『さるかに合戦』から得るべき教訓は、
安田尊@加害者を謳うブログ。
安田尊@被害者遺族を謳うブログ。です。
タイトルにも入っていますよね。
安田尊@『さるかに合戦』を謳うブログ。と。
この世には、戦って復讐を果たさなければ、晴れない気持ちや、救われない感情があります。
自分の親が、一方的に食い物にされたり、殺されたりして、それでも加害者と仲良くやっていこうだなんて思えるでしょうか。
よっぽど親子関係が悪い、それこそ暴れん坊のサルみたいな親を持ってしまった不幸な子どもであれば、加害者に感謝することもあるかもしれません。
しかしそれ以外の、お母さんの手作り料理を子どもたちが喜んで食べているような家庭であれば、許せないのではないでしょうか。
その感情を誤魔化して、子どもたちを騙すのが「教育」だとは、私は思いません。
日本昔話『さるかに合戦』で子どもに伝えたいこと
安田尊@Questionを謳うブログ。
安田尊@Answerを謳うブログ。話し合いが大事とか、話し合えばわかり合えるとか、よくいいます。
しかし、子ガニたちの「復讐」なしに、カニたちは暴れん坊のサルと「話し合う」ことができたでしょうか?
安田尊@『さるかに合戦』を謳うブログ。- 暴れん坊のサルは、母親ガニがおにぎりと柿の種との交換を断ったとき、無視しておにぎりを強奪しました。
- 暴れん坊のサルは、母親ガニが柿の実を分けてほしいとお願いしたとき、柿ではなく暴力を食らわせました。
「暴力」をコミュニケーション手段としている敵に対して、「話し合い」は無力です。
どうしても「話し合い」がしたければ、その前に「暴力には暴力を」示さなければなりません。
だからこそ、地域社会は無力なカニたちに助太刀しました。
田尊@臼を謳うブログ。
安田尊@蜂を謳うブログ。
安田尊@イガグリを謳うブログ。などのメンバーが、地域社会です。
ではなぜ地域社会は、「話し合い」に加わるのか?
カニたちの抱える困難(暴れん坊のサル)が、他人事ではないからです。
もし地域社会が、カニたちの被害を黙って見過ごせば、どうなるか。
安田尊@カニを謳うブログ。
安田尊@臼を謳うブログ。
安田尊@蜂を謳うブログ。
安田尊@私を謳うブログ。みたいなことになります(ニーメラーの詩)。
だから地域社会は、最初の段階で団結して、カニに助太刀するわけです。
現代風にいえば、
安田尊@見ざる言わざる聞かざるを謳うブログ。みたいな話です。
だから社会には、「復讐」や「仕返し」という機能があります。
また、「復讐」や「仕返し」を実行するための暴力もあります。
そこでもし社会の「復讐」や「仕返し」といった加害者に歯止めをかける機能がなければ、どうなるでしょうか?
安田尊@加害者を謳うブログ。
安田尊@現実を謳うブログ。『さるかに合戦』は、そう私たちに問いかけています。
そして同時に、私たちや私たちの子どもが「暴れん坊のサル」になったとき、どういう目に遭うのかを警告しています。
まとめ:「仕返し」できない人間は「牛の糞」以下
安田尊@まとめを謳うブログ。- 日本昔話『さるかに合戦』は、子ガニが親の敵討ちを果たす復讐劇
- 「復讐」は、被害者感情の救済と被害拡大を防止するための必要悪
- たとえ「牛の糞」であっても、社会貢献のため復讐には助太刀する
以上です。
なお、
安田尊@『さるかに合戦』を謳うブログ。は私が得た教訓であり、別に答えは「あんまりやるな、復讐」でもかまいません(別の物語でやれ、とは思いますが)。
ただしそれ以前に、こうした残酷な問題と向き合ったり、自分の頭で考えたりした経験のない子どもなど、「教育」を受けたとはいえないのだけは確かでしょう。
そして最後に、復讐もできない腰抜けは、
安田尊@うんこ野郎を謳うブログ。だと断言します。
『さるかに合戦』に則っていえば、精神勝利や見て見ぬふりは、「牛の糞」以下です。
しかし『さるかに合戦』の「牛の糞」は、たとえば有名な『まんが日本昔ばなし』パターンでいえば、
『まんが日本昔ばなし』のイメージなどと紹介されていて、暴れん坊のサルを懲らしめるための作戦を立案したり、指揮をしたり、軍師ポジションに収まっています。
また別のパターンでは、親の敵討ちにいくカニたちの道中に落ちていて、敵討ちの事情を聞くなり、
牛の糞のイメージと答えてカニたちの敵討ちに同行するなど、意味がわからないぐらい強者キャラ感を醸し出しています。
したがって、この「牛の糞」以下でもそんなに落ち込む必要はないのかもしれません。
とはいえ、私は嫌ですが……「牛の糞」以下。
受けた恩にはしっかりと報い、受けた仇にはしっかりと報復する、それが人間のあるべき姿ではありませんか?
以上、日本昔話『さるかに合戦』から得られる教訓の解説でした。

