読書で身につける教養は、歴史・文学・科学・哲学・宗教がオススメ。
~これまでのあらすじ~
というわけで、その③「文学『ロリータ』」から再開します。
では以下目次です。
文学『ロリータ』は文字だけで鑑賞も再現も可能!
~268日目 | 文学『ロリータ』~
ロシアで生まれたナボコフ(1899~1977)は、イギリスで教育を受け、同国で執筆活動を開始した。数冊の小説を出したあと、アメリカに移って大学教授になった。その過程で、読者によって好き嫌いが分かれる、知識人であることを意識したわざとらしい語り口調を編み出した。
『ロリータ』は、中年の大学教授ハンバート・ハンバートが12歳の少女に抱いた、ゆがんだ性的欲望を描いた作品だ。パリで育ったハンバートは、アメリカに移住すると、ある未亡人の家で、幼い娘ドローレスが庭で日光浴しているのを目撃し、その家に部屋を借りることにする。ドローレス(愛称「ロリータ」)といつも一緒にいたいがために、未亡人と結婚までするがすぐに未亡人は死んでしまう。ハンバートとロリータは肉体関係を持つが、移り気な少女ロリータは関心を失う。やがてハンバートは、自分の肉欲が思いがけず真の愛に変わったことに気づくが、ロリータは彼の求愛をはねつける。
語り手であるハンバートは、言葉が巧みで表現力も豊かだが、妄想が多くてまったく信用できず、優雅で詩的な言葉遣いで事実をねじ曲げ、幼い少女への性的欲望という不穏な本質を隠している。彼の説明では、誘ったのはロリータの方で、彼が「ニンフェット」と呼ぶ、性的にませた思春期の少女たちへの欲求は、悲恋に終わった幼いころの恋愛体験の副産物にすぎないという。次に示す、ハンバートが語る有名な冒頭部分は、言葉遊びを多用しつつも不安を招く本作品全体の調子を決定づけている。ロリータ、我が命の光、我が腰の炎。我が罪、我が魂。ロ・リー・タ。舌の先が口蓋で三度ステップを踏み、三ステップめで歯をタンと叩く。ロ。リー。タ。
1955年に『ロリータ』を書き上げたものの、ナボコフはアメリカで刊行してくれる出版社を見つけることはできなかった。結局フランスで出版され、フランスでは傑作だという評価と、完全なわいせつ本だという評価に分かれた。多くの国で発禁処分になり、アメリカでもなかなか出版されなかったが、1958年に刊行されるとベストセラーになった。今日『ロリータ』は、セクシュアリティーと抑圧を鋭く掘り下げた文学作品であり、ポストモダニズム文学の特徴である「信頼できない語り手」という叙述技法を使った最重要な作例であるとして、高く評価されている。
豆知識↓
- 若いころからナボコフは、ロシア語、英語、フランス語を自由に操れた。初期の作品はおもにロシア語で書かれているが、後期の作品は、『ロリータ』も含め、英語で書かれている。
これは268日目、文学カテゴリ『ロリータ』です。
「視覚芸術」や「音楽」に比べて、この完璧な情報の伝達を見よ!
キモすぎ……「ロリコン(ロリータ・コンプレックス)」の語源にもなるのも納得です。
さて、
- 歴史
- 文学
- 視覚芸術
- 科学
- 音楽
- 哲学
- 宗教
文学に限らず、このなかで「視覚芸術」と「音楽」を除いたすべてのカテゴリで、知識や情報や表現はテキストだけでも十分に受け渡しができます。
細かいことをいえば、翻訳は劣化だろうとか、(科学)実験観察はテキストだけでは不十分だとかはいえますが。
しかし翻訳は文字⇒文字だし、実験だって結局は実験レポートや論文にまとめるんだから、「視覚芸術」や「音楽」ほどの劣化はありません。
もちろん、音楽にも「楽譜」や「音楽理論」はありますが、それで『月に憑かれたピエロ』や『クルアーン』が再生されるわけもありません(イントロの最初の一音、歌い出しの第一声さえも)。
一方で、『ロリータ』のキモい書き出しはすでに再生されました。
このことから得られる教訓は、
- 歴史
- 文学
- 科学
- 哲学
- 宗教
読書での学習は上記5分野に絞り、「視覚芸術」や「音楽」に関しては、まずは実際の美術や音楽を鑑賞するべきです。
本書(『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』)のような教養本がバカにされるとすれば、それは「教養」を売り文句にしていることや、内容の質や量ではありません。
問題は内容の方向性で、「読むだけ」を謳いながら、「視覚芸術」と「音楽」カテゴリを収録したのはバカの仕事だと思います。
まとめ:「美食」の教養も本を読むだけでは無理!
- 視覚芸術『アヴィニョンの娘たち』も『ゲルニカ』も、文字で読んだだけでは鑑賞不可能
- 音楽『月に憑かれたピエロ』も「シュプレヒシュティンメ」も、文字だけでは再現不可能
- 文学『ロリータ』を始め、歴史・科学・哲学・宗教の教養は、読み書きだけでも習得可能
以上です。
本書には収録されていませんが、「視覚芸術」や「音楽」と同じ理由で、
- 味覚
- 嗅覚
- 視覚
- 聴覚
- 触覚
これら五感と深く関わり合いのある教養は、一般常識や一般的な経験の応用が利きづらいため、「読むだけ」ではどうにもなりません。
美食なら、その食材や料理ごとの①「味」や②「香り」や③「彩り」を実際に感じたことがあるか。
視覚芸術なら③「視覚」だし、音楽なら④「聴覚」です。
という漫画『ラーメン発見伝』の名言がありますが、ちゃんとお店に通ってラーメンを食べているだけ、情報を食っている人たちはまだマシです。
ラーメン雑誌やラーメンブログの情報を読み漁るだけで、実物を食べもしないでラーメンの教養もクソもないでしょう。
最後に、「視覚芸術」と「音楽」の教養を身につける方法を述べて終わります。
ソース:シェーンベルク Schönberg / 月に憑かれたピエロ Pierrot Lunaire(日本語字幕付) – YouTube – 2022年9月24日閲覧。
これら特別な経験や体験によって、五感に基づいた教養は身につきます。
以上、もちろんその他のカテゴリについても、五感とともに養えば教養は深まるでしょう。
前編とレビュー本編はこちら!↓
読書で教養は身につきますが、一般常識で読み解けない芸術系は無理。安田尊@読書を謳うブログ。こんにちは、前々回の記事で、【書評】『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』を1日で読んだ感想!前編教養人と化した安田尊です[…]
1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365(著:デイヴィッド・S・キダー&ノア・D・オッペンハイム、訳:小林朋則、文響社2018年)を読みました。安田尊@読書を謳うブログ。ふ~ん、この本は1年で読める構成になっていて、1[…]