結論、愚痴は結論から話さなくても良い。
~Aさん(仮名・20代会社員)の愚痴~
愚痴を聞いていると、たまにこうやって、ひとりで自己嫌悪ループに入っていく人がいます。
ひとりで悩んでいる人間が、どんどんネガティブ思考に囚われていくあの現象に似ています。
でもAさんはひとりで悩んでいるんじゃないし、愚痴聞きである私の存在意義としては、
と、ネガティブ思考ループを止めることにあります。
ちなみにふふ(笑)は、(怒ってない)という意思表示のつもりですが、もしかしたら嘲笑と受け取られるかもしれません。
まあ実際可笑しくはあります、だって愚痴なんて結論から話そうが前置きから話そうが、全部無駄話でしょう?
愚痴は仕事か?「結論から愚痴る」は不要
- プレゼンは最初に結論を話せ
- メールはさっさと本題に入れ
- ブログは1行目に答えを書け
「結論から」は、大抵の話術・文章術に応用できます。
ではなぜ結論から話すのかといえば、時間を無駄にしないためです。
~「結論から話せ」の真意&例~
- 結論(ゴール)
- 序論&本論(スタート&中間点)
- 結論(ゴール)
こうして、①「結論」に始まり、③「結論」に終わる構成が推奨されます。
が、この「結論から」は、すべての状況に適しているわけではありません。
ビジネスのような、お互いに時間の限られた、効率重視の場では有効でも、
- 真犯人の名前
- 事件の真相
- トリックのネタばらし
↑こんなネタバレが最初に書き連ねられていたら、推理小説としては終わりだし、逆に迷惑ですよね。
世の中には、ミステリ小説に限らず、「ネタバレから読んで、面白そうだったら本編も鑑賞したい」という効率重視(タイムパフォーマンス重視)の読者や視聴者はいるにしても……。
そもそも、時間を無駄にしたくないのであれば、
- 小説
- 映画
- 漫画
- 漫才
- 音楽
- ドラマ
- アニメ
- ゲーム
- ブログ
- YouTube
↑それが駄作だろうが良作だろうが、所詮はフィクション(創作)ですよ。
いや、「ノンフィクション」や、「ドキュメンタリー」(実話や記録)であっても……。
自分の人生に無関係なら、無意味では?
愚痴を聞く理由は?仲良くしたい意思表示
~ある作家のコメント~
~ある映画監督のコメント~
~Aさん(仮名・20代会社員)の愚痴~
~私の感想~
そもそも最初に書きましたが、「愚痴を聞く」という行為は、「仲良くしたい」という意思表示です。
特に仲良くしたいとも思っていない人間の愚痴なんて聞くわけがありません。
それはちょうど、面白そうだと思わない小説や映画には見向きもしないのと同じだし、ドラマの冒頭やアニメの第1話が面白くなかったらそれで視聴をやめるのと同じです。
それが人間相手にしろ、コンテンツ相手にしろ。
だからたとえば、一定の固定ファンがついている作家や映画監督なら、実験的で型破りな作風が許されます。
冒頭から事件が起きるまで100ページかかったり、詩的すぎてなにを喋っているのかわからないセリフで会話劇が始まったり、なんかいろいろあったけど結局夢か幻かパラレルワールドの話でしたみたいなオチだったり……。
~ある人気作家のコメント~
と、人気作家や人気映画監督たちは、ファンに甘えることができます。
そして実際、私たちは、自分の好きな相手がすることだったら大抵のことは許してしまいます。
つまり世の中には、
- 楽しい無駄
- 楽しくない無駄
当然、私が長々と聞く愚痴は、すべて①「楽しい無駄」です。
②「楽しくない無駄」だったら、最初から聞かないか、長くてごめんと謝られる前にこっちが用事を思い出してごめんと席を立ちます。
つまり、聞き手が席を立たずにいるなら、聞き手は「仲良くしたい」と思っているんだし、
そうして愚痴った結果、長々と愚痴を聞かされてうんざり……みたいに嫌われたり、愚痴の連鎖が始まったりした場合は、相手と距離を置けばいいのです。
だいたい、「愚痴を聞かされた」ってよく聞く言い回しですが、やけに被害者ぶっていませんか?
愚痴を聞く立場からいっても、嫌なら見るなというか、嫌なら聞くなという話でしかありません。
バカとは距離を置くに限ります。
それは私(聞き手)だって、愚痴を聞きたくないときにそれを伝えて逆ギレや逆恨みをしてくるようなバカとは、速攻で縁を切ります。
逆にいえば、
愚痴の秘訣は?自覚を持って愚痴ればいい
私の経験上、愚痴る側に問題点があるとすれば、自覚の有無です。
昔、私が愚痴を聞いていると、やっぱり謝られたので「愚痴なんていくらでも聞きますよ~笑」的なフォローを入れたことがありました。
すると、その相手は私より年上の女性だったんですが、強く否定されて、
みたいに目を剥く勢いでビックリされて、ビックリしたことがあります。
いま思い返しても、そのただ話していた内容が、どう考えても愚痴でした。
でも私は、すかさず言葉を間違えたことにして事なきを得ましたが、それから何回かは会うたびに「この前のあれは本当に愚痴じゃなかった、本当、信じて……!!」みたいにお願いされ続けました。
それからというもの、私は(特に年配の女性から)愚痴を聞いているときに、「愚痴」という言葉は封印しています。
でも結局愚痴だし、別に地雷みたいに忌避しなくてもいいのでは?
やっぱり、「愚痴」⇒「無駄話」なのはみんな理解していて、だからこそ自分の愚痴が「無駄話」⇒「迷惑」になることを恐れているんでしょうか?
まあそれはたしかに、自分の話は重要に決まっていると思いたいからこそ、一から丁寧に事情を説明して十まで語ったあとに「十から語ればよかったよね……」とか後悔したいのかもしれません。
重要だと思うから最初から話したいという欲求と、「仕事で話すような重要な話は結論から話すべきだ」というフォーマットの良いとこ取りというか……。
そして私は、そんなAさんの気持ちや価値観を全否定して、
と、優しく微笑むようで、冷たく突き放しているのかもしれません。
まあAさんとはそのあとも仲良くしているので、Aさんはたぶんそんなふうには思っていないと思いますが。
私の結論としては、愚痴は愚痴だし無駄は無駄だし、その自覚がないことには愚痴の方法論も実践できないので、
まとめ:お礼を渡せば迷惑ではなくなる!
- 愚痴は仕事ではないし、小説や映画やエンタメ作品と同じで、本質的に無駄である
- 愚痴自体が無駄でも、愚痴を聞くだけで相手と仲良くなれるなら、聞く価値はある
- 愚痴の価値を認め、愚痴る自覚を持ち、思いっきり愚痴ったほうが愚痴は成功する
以上です。
なんとなく流れで愚痴るよりも、こうして計画的に(?)愚痴ったほうが、スッキリすると思います。
計画的な愚痴なら、
私が「計画的な愚痴」とかいう謎のワードを思いついたのも、たぶんそれを実践している友人がいるからです。
もちろん私は別に、お礼が欲しくてその友人と付き合っているわけではありませんが……。
なんか毎回毎回、ちょっとしたお茶菓子(コンビニスイーツ+海外や地方で売っている謎のコーヒーとか)を食べさせてくれるなあ、別にそんなのいらないのに~とかいいながら、
そして実際、私は餌付けされていると気づいても、その魅力には勝てないでいます(ということを友人はわかってやっているということを私はわかっているのに……!!)。
愚痴ることに罪悪感があるなら、話し方より終わり方に気を使ったほうがいいということです。
以上、最後にここまで散々「愚痴は無駄」と書いておいて全部ひっくり返しますが、愚痴で聞く情報って意外と役に立つことも多いです(だから私は、愚痴を聞くのが大好きです)。