ほならね理論は、使われた時点で負け確です。
ほならね理論の定義
まずは「ほならね理論」についてきちんと理解しましょう。
ほならね理論とは、
の挨拶で一世(ネット上の一部)を風靡した大物YouTuber、syamu_gameが提唱した最強の理論です。
曰く、
以上がほならね理論の全文です。
まとめると、
- 視聴者に「サムネがつまらない」といわれた
- ほならね、自分が作ってみろって話でしょ?
となります。
ほならね理論は詭弁
さて、本理論はsyamu_gameのみならず、大物芸能人や大物政治家や大物アニメ映画監督も使ったとされるなど、輝かしい実績がある一方で、詭弁としても名高い理論です。
ではほならね理論は正論か詭弁か?
答えは詭弁です。
なぜならほならね理論の発動条件は、
- サービスの提供者が提供したものに対して
- サービスの受領者が不満を表明すること
であり、サービスの提供者と受領者ではそもそも期待される役割や立場が違います。
ほならね理論は、その役割や立場の垣根を無視した理論であり、クリエイターとファンであれば本来の関係性は以下のとおりです。
クリエイターがファンに期待すること↓
- 自分の作品を鑑賞してくれること
- 自分の作品を鑑賞した対価を支払ってくれること
ファンがクリエイターに期待すること↓
- 自分に作品を発表してくれること
- 発表された作品が自分の欲求を満たしてくれること
にも関わらず、双方の期待するものをごちゃ混ぜにして、役割や立場を入れ替えるなら以下のようになります。
クリエイターがファンに期待すること(syamu_gameが視聴者に要求したこと)↓
- 自分に作品(サムネ)を発表してくれること
- 発表された作品(サムネ)が自分の欲求を満たしてくれること
ファンがクリエイターに期待すること(視聴者がsyamu_gameの要求に応じたとき求めるであろう報酬)↓
- 自分の作品(サムネ)を鑑賞してくれること
- 自分の作品(サムネ)を鑑賞した対価を支払ってくれること
いきなりこんな立場逆転を申しつけられて混乱しないファンがいるでしょうか?
ほならね理論がもたらすのはまさしくこの混沌なので、詭弁としかいいようがありません。
ほならね理論が正論とされるケース
しかし、ほならね理論が正論扱いされるケースもあります。
が、そのケースはほならね理論を拡大解釈したものであり、
- サービスの提供者が提供したものに対して
- サービスの受領者が不満を表明すること
上記の原則が守られていません。
たとえばクリエイターが同業者のクリエイターを批判した場合は、どちらもサービスの提供者です。
同業者である以上、一方が一方のサービスを受けたとしても、純粋なサービスの受領者にはなりえません。
ゆえに、
といったケースであれば、新海誠監督の言い分は正論ですね。
その批判に、
というニュアンスが含まれているのであれば、
と反論されるのは必然であり、この反論は正論です。
ただし、こうしたケースはsyamu_gameが提唱したほならね理論には当てはまらないので、本家本元のほならね理論が詭弁であることに変わりはありません。
ほならね理論が最強無敵である理由
さて、本家本元のほならね理論が詭弁である理由は説明したとおりです。
が、それ以前に本記事のタイトルで、
であると述べていますね。
じつはその理由もまた、すでに説明済みではありますが、噛み砕いておさらいしましょう。
まずほならね理論の発動条件は、
- サービスの提供者が提供したものに対して
- サービスの受領者が不満を表明すること
です。
この発動条件を換言すれば、ほならね理論が発動した時点で、サービスの受領者は不満を抱えているわけですね。
繰り返しになりますが、ファンがクリエイターに期待すること↓
- 自分に作品を発表してくれること
- 発表された作品が自分の欲求を満たしてくれること
上記の条件でいえば二番、サービスの受領者が感動だったり幸福だったりを得られていないとき、不満を訴えることになります。
が、しかしその訴えを、
と、ほならね理論で退けられてしまったとき、サービスの受領者には手の打ちようがありません。
なぜなら相手に不満を訴えるという行為は、自分には不満を解消する手立てがないという自白でもあるからです。
にも関わらず、クリエイターのほならね理論によってファンの希望が断たれてしまえば、たとえほならね理論を詭弁だと論破したところで、ファンの不満は解消されないままです。
では不満が解消されないということは、どういうことでしょうか?
不幸だということです。
では不幸だということは、どういうことでしょうか?
そこには自分で自分の欲求を満たすことができず、クリエイターにも要望を聞き入れてもらえず、不満を抱えたまま別の代替物を探し求める、不幸な負け犬、人生の敗北者が佇むのみです。
まとめ
そしてsyamu_gameの場合、発見から五年以上経ったいまでも、後継者が見つかっていません。
「syamu」本人ですら、全盛期を過ぎたいまとなっては、syamu_gameの代替としては力不足です。
そんな全盛期のsyamu_gameが使ったほならね理論は、それは最強でしょう。
実際、syamu_game以外のだれが作ったところで、syamu_gameに相応しいサムネにはなりえなかったはずです。
つまらないのに唯我独尊、それがsyamu_gameの魅力であり、仮に客観的にいって素晴らしいサムネが提供されていたところで、
と拒否られていたのがオチです。
だからこそ、だれもがそのことを認めていたからこそ、ほならね理論はここまで普及したのかもしれません。
そしてみなさんもうお気づきでしょうが、ほならね理論とは、理論というより、ただ相手の要望を突っぱねているだけです。
しかしその断り方に穴があり、一見して希望が見出せる、そこに罠というか罪というか、ほならね理論の妙があります。
が、論破しようがどうしようが、どうにもならないこともすでに、みなさんおわかりですね。
- 屁理屈
- 詭弁
- 論破可能
しかし、唯一無二の存在が使えばだれも逆らえない、それがほならね理論です。
ですから、そうした唯一無二の人にほならね理論を使われてしまった場合は、反論するのはぐっとこらえて、おだてて褒めて、苦労に共感してあげて、なんとかなだめて自分の要望に寄せていくしかありません。
そこを踏まえていない人間は、友人関係でも恋人関係でも、夫婦関係でも親子関係でも、破綻の危機にあるといっていいでしょう(あるいはすでに……)。
前回の記事でもテーマにしましたが、やはりsyamu_gameからは人間の本質が学べるな、と感嘆することしきりです。
現在syamuさんはオフゼロ五周年記念日にも音沙汰がなく、ふたたび引退するかどうかの瀬戸際ですが、これからもなにか動きがあればウォッチしていきたいですね。
しかし、とりあえずは本記事をもって一連のネットのおもちゃ特集に区切りをつけたいと思います。
追記: 2019年8月21日、syamuさんが引退宣言を行いました。
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以上。
THIS IS THE ANSWER.