年上を敬え、と強要してくる教養のない老害について。
~子どもへの洗脳教育~
年齢差別とは、人間の年齢のみを基準に不当な扱いをする行為です。
たとえば「老害」は差別用語ではありません、年齢だけではなく「有害か無害か」が基準だからです。
子どもに責任能力が認められないのも、行動が制限されるのも、「有能か無能か」が基準ならば差別ではありません。
- 両親
- 兄姉
- 先生
- 先輩
- 老人
日本は①②③④⑤「年上だから」という年齢のみを基準に、年下を支配しようとする輩が多い国ですが……。
年齢と尊敬できる要素(たとえば能力)が比例しないなら、年上の無能を敬う理由ってなに?
では以下目次です。
敬老とは?形だけの礼儀作法に意味はない
~なぜ年上を敬わなければならないの?~
- 仁……まず相手への親愛・情念・尊敬の気持ちがあり、
- 礼……それら「仁」を表現するために礼儀作法がある
上記が孔子の教えであり、①「仁」⇒②「礼」の順番が正しい礼儀です。
②「礼」は手段のひとつでしかなく、①「仁」を相手に伝えるのが目的。
したがって、そもそも、
それが現代の日本では、中身を学ばず形だけ覚えたバカが、「年上は敬うべき」などと形式を押しつけてきます。
世の中には、自分の親より年上で、自分の後輩より尊敬できない人間だっているのに。
逆に、自分より年下で、自分の親より尊敬できる人間だっているのに。
- 仁……まず年上の人間が、尊敬に値する人間になる
- 礼……尊敬に値する人間は、礼を尽くしてもてなす
以上が正しい手順であり、前提条件①「年上が尊敬に値する」が達成されていないなら、②「礼儀」もクソもありません。
そして現代の日本では、尊敬に値しないクソみたいな老害がはびこっています。
したがって、
現代的なマナーに言及すれば、「どんな人間にも敬意を」と訴える向きもありますが、それなら年下にも敬意を払わなければ差別です。
子どもにも弟にも妹にも生徒にも後輩にも若者にも、敬意を払うべきじゃないですか?
まあ私は「どんな人間にも敬意を」とはまったく思わないので、子どもにも弟にも妹にも生徒にも後輩にも若者にも両親にも兄姉にも先生にも先輩にも老人にも、ただそれだけで敬意を払うべきだとは思いませんが。
↑孔子の時代、生きていくだけでも厳しい国や時代なら、長生き自体にも価値があったのかもしれません。
が、現代の日本ほど平和で安全でイージーな国で、長生きなんてクソほどの価値もありません。
だから私は、年上だろうが年下だろうが、尊敬できる人間を尊敬して尊敬できない人間を尊敬しません。
尊敬か忖度か?気づけない老害は裸の王様
~まるで裸の王様~
慇懃無礼の解説 – 小学館 大辞泉
ソース:慇懃無礼(いんぎんぶれい)の意味・使い方 – 四字熟語一覧 – goo辞書 – 2023年1月16日閲覧。
いんぎん‐ぶれい【×慇×懃無礼】
[名・形動]表面は丁寧で礼儀正しいように見えるが、実は尊大で無礼なこと。また、そのさま。慇懃尾籠 (いんぎんびろう) 。「―な態度」
いんぎんぶれい【×慇×懃無礼】
ソース:岩波 国語辞典 第七版 新版 – 株式会社岩波書店
〘名ノナ〙うわべは丁寧に見えて、その実、尊大なさま。
敬老文化に加えて年功序列まである日本で、年上から敬えと強要されて逆らえる若者は少ないでしょう。
その結果、「仁」を欠いた「礼」が生まれ、若者は忖度(配慮)と無礼を覚えます。
本当は無礼を働かれることほど屈辱的なことはありませんが、老害自身が忖度と無礼を誉れとしている以上、老害は屈辱に気づきもしません。
『裸の王様』は、王様が「バカには見えない不思議な服」を仕立ててもらう物語です。
王様も配下も、だれも「バカには見えない不思議な服」が見えませんが、だれも「見えない」とは言い出せずに王様は裸で外を歩きます。
そして忖度を知らない子どもに、「なんで王様は裸なの?」と指摘されて、大騒ぎになる。
だれもがそう唱える日本では、「年寄りは敬うべき」という服をみんなが見ていて、だれも「見えない」とは言い出さない。
でも私はいいますが、本当はそんな服など存在しません。
ある老人が、若者にどれだけ完璧な言葉遣いで美しい立ち居振る舞いで懇切丁寧にもてなされたとしても、
- 「尊敬」
- 「屈辱」
- 「愛情」
- 「友情」
- 「劣情」
- 「感謝」
- 「感動」
- 「感心」
- 「関心」
- 「安心」
- 「心配」
- 「信頼」
- 「不信」
- 「信望」
- 「人望」
- 「羨望」
- 「失望」
- 「悪意」
- 「殺意」
- 「好意」
それなのに老害は、①~⑳「本当はどう思われているか」なんて知ろうともせず気にもとめず、ただ「敬え」と渇望して死んでいく。
もちろん恥辱も知らない、恥知らずな人生が、ただただ哀れでなりません。
私が年上の立場なら、年下のみなさんには是非こうお願いしたいですね。
年齢なんて運でしょ?実力で勝負したら?
~人生の運の部分と実力の部分~
- 長男や長女……次男や次女より優れていたから、先に生まれたわけではない
- 先生や先輩……生徒や後輩より優れていたから、先に生まれたわけではない
- 大人や老人……子供や若者より優れていたから、先に生まれたわけではない
①②③「運」です。
よく説教臭いバカが「人生は自分次第」などと自己啓発を垂れ流していますが、仮にそれが一部真実だとしても、少なくとも年齢や生年月日にはどこにも自分の才能や実力や努力の介入する余地がありません。
自分で人生をスタートさせた人間はいないし、自力で生年月日を勝ち取った人間もいません。
みなさんは、運良く宝くじが当たっただけの成金を尊敬しようと思うでしょうか。
私はまったく尊敬しようとは思いませんが、でも「宝くじは買わなきゃ当たらない」の言葉通り、「宝くじを買った」という行動の価値自体は認めて賞賛せざるをえません。
でも年齢に関しては、「宝くじを買った」程度の行動すらしていない、
だれが尊敬するねん、それを。
うんこと変わらんやん。
運というより、うんこやん。
ただ運で先に生まれただけのことにプライドを感じているなら、そういうことになります。
私は人間なので、プライドは実力や実績や人格に対して抱きます。
どうしても年齢を踏まえなければならないなら、相手が自分と同年齢のときになにをしていたかで評価します。
~クリストファー・ノーランの評価~
こうして評価すれば、フェアですよね。
そこへきて、クリストファー・ノーラン(1970年生まれ)より先に生まれたからって、『テネット』も理解できないバカがノーランに「敬え」といっていたら失笑してしまいます。
年齢で威張り腐るということは、それ以外取り柄がない無能ですと白状しているようなもの。
まとめ:日本の老人が尊敬できない理由!
- 老害は、年上を敬え敬意を払えというが、年齢だけを基準に不当な扱いを要求するのは差別である
- 老害は、敬老文化や年功序列で忖度されたとしても、実際はバカにされているのだから哀れである
- 老害は、ただ先に生まれたという運だけで威張るのだから、ほかになんの取り柄もない無能である
以上です。
日本では、年寄りを尊敬するべき理由として、この国を発展させてきたという声がよく上がります。
たしかに年寄りは、この国を発展させてきました。
- 失われた10年
- 失われた20年
- 失われた30年
さらに④「失われた40年」に突入しようとしている令和の時代まで、負の遺産に対してなんの対策もしてこなかった人たちのことを、どうして尊敬できるのか?
度重なる増税も少子高齢化もインフラ崩壊も、都合の悪いことは全部あとの世代に丸投げして逃げ切りを狙っている醜い姿。
原爆は落とされるわ、原発は爆発させるわ、国民は拉致されるわ領土は奪われるわ公文書は改ざんするわあらゆる責任はうやむやだわ、
以上、ちなみにもちろん、たまたま運で生まれただけの国に尽くす義務はありません(世の中には、生まれた年と同じで、生まれた国を誇るしかない無能もいますが)。
この老害大国にうんざりした若者は、海外移住も視野に入れましょう。
クソみたいな学校からは逃げても良い、ブラックな職場からは逃げても良い、それなら未来がない国からも逃げて良い。