老人差別や年齢差別、あるいは女性蔑視のなにが「差別的」で許されないのかといえば、
以上のような「不当な区別」が、「差別的で許されないこと」に当たるとされています。
さてしかし、「老害」を以上の例に当てはめるとどうなるでしょうか?
おやおや、なにかがおかしい気がします。
「老害」とはどういう意味でしたか?
単刀直入に答えましょう、
しかし老害は、「害」ゆえの批判(正当な区別)を受けたときでも、なぜか被差別者気取り全開で害をまき散らし続けます。
たとえば、
を混同して、「自分たちは差別被害者だ」と弱者アピールを始める。
「老害」の隠れ蓑に使われた、
の身になれば、たまったものではありません。
また、本当に差別被害で苦しんでいる人たちからすれば、自業自得で叩かれているだけのバカが「差別被害者」を名乗って仲間アピールをしてくるのは、迷惑以外の何物でもないでしょう。
本記事では、そんな老害のまさに老害たるゆえんを、それぞれの意味や実例を交えて解説します。
では以下目次です。
「老人」や「年寄り」を隠れ蓑に被害者ぶる老害発言の実例
上記の発言は、自民党の伊吹文明(83歳男性、自民党の衆議院議員、元衆議院議長)氏が述べたものです(2021年3月4日)。
「森前会長」というのは、森喜朗(83歳男性、日本の元首相、元東京五輪大会組織委員会会長)氏のことです。
ソース:「老害は差別用語だ」 伊吹元衆議院議長が猛反発 – FNNプライムオンライン – 2021年3月29日閲覧。
以上が本記事冒頭で述べた、
を混同して被害者ぶる老害発言の実例その1です。
そしてここで言及されている森喜朗氏は、女性蔑視発言が世界的に問題視され、東京五輪大会組織委員会会長を辞任したばかりです(2021年2月12日)。
ソース:東京五輪組織委の森会長、辞任へ 女性蔑視発言問題で – BBCニュース – 2021年3月29日閲覧。
森喜朗氏が、
などと呼ばれる背景には、そうした時代錯誤な言動を改めることができないままに、政治の中枢に居座り続け、「日本の恥」を晒し続けているという経緯があります。
さてしかし、森喜朗氏は五輪組織委会長の辞任挨拶でこれに反論しました(2021年2月12日)。
ソース:森喜朗会長「老人も頑張ってるんですが老人が悪いかのような表現をされることも極めて不愉快」【辞任あいさつ全文】【東京五輪】 – 中日スポーツ・東京中日スポーツ – 2021年3月29日閲覧。
ご覧のとおり、最初は「老害」の話だったのに、次の瞬間には「年寄り」や「老人」の話にすり替えています。
を混同して被害者ぶる老害発言の実例その2です。
以上のように、
というのが老害仕草の特徴です。
蔑視されているのは「老害」であって、「老人」ではないのに。
そうやって似非被害者が被害者アピールを繰り返すたびに、純粋な被害者までもが、
などといわれなき批判を受けるようになる。
本当に害悪以外の何物でもありません。
「老害」と「老人」と「年寄り」の意味は?それぞれの比較
ろう‐じん〔ラウ‐〕【老人】 の解説
[用法]老人・[用法]としより――「老人」は、文章やあらたまった話の中では最も一般的に使われる語。特に「老人福祉」「老人ホーム」のように複合語を作る場合、「年寄り」は使わないのが普通。◇「年寄り」は「老人」よりややくだけた親しみのある感じで使われる。前後関係によって軽蔑の感じが強く出ることもある。「お年寄りを大切にしよう」「年寄りの冷や水」など。◇類似の語に「老体」がある。「老体」は「御老体を煩わせてすみません」というような形で尊敬をこめて言う場合にも用いる。◇年齢が高いことを示す「高齢者」が広く使われるようになっている。◇「老人」が個人を指す場合は男であることが多い。女性については「老婦人」「老女」「老婆」などを用いることが多い。「年寄り」「老体」にはこのような使い分けはない。ソース:老人(ろうじん)の意味 – goo国語辞書 – 2021年3月29日閲覧。
年をとった人。年寄り。老人福祉法では、老人の定義はないが、具体的な施策対象は65歳以上を原則としている。「老人医療」
とし‐より【年寄(り)】 の解説
ソース:年寄(り)(としより)の意味 – goo国語辞書 – 2021年3月29日閲覧。
1 年をとった人。高齢の人。老人。
→老人[用法]
ろうじん【老人】
ソース:岩波 国語辞典 第七版 新版 – 株式会社岩波書店
年をとった人。年寄り。
としより【年寄(り)】
ソース:岩波 国語辞典 第七版 新版 – 株式会社岩波書店
①年を取った人。老人。
⇒老人
なお上記の引用からは、武家時代や江戸時代、大相撲の役職を指す「年寄」については本記事で扱うものではないため除外しています。
まとめると、どちらの辞書でも、
として扱っています。
goo国語辞書の「用法」では、「年寄り」の細かなニュアンスが説明されていますが、「前後関係によって」親しみが出たり軽蔑の感じが出たりするのはどんな言葉でも同じです。
よって、単独の単語として見たとき、
です。
「老人」の説明に「年寄り」が、「年寄り」の説明に「老人」が単語同士で用いられることからも、互換関係にあることは明らかです。
一方で、「老害」はどちらの項目にも見当たりません。
そこには「若者」などと同じく、年齢的な区別があるだけで、差別的な意味や、侮蔑的な表現、不当な評価などは見当たりません。
仮に「年を取った人」に対する「老人」自体が差別的であるなら、
などという差別全開の法律を制定、運用している日本は差別国家になってしまいます。
もし日本が差別国家なら、その差別を長年保守してきた日本の古い政治家さんたちは、だれとはいいませんが、厚顔無恥にもほどがあります。
閑話休題。
ろう‐がい〔ラウ‐〕【老害】 の解説
ソース:老害(ろうがい)の意味 – goo国語辞書 – 2021年3月29日閲覧
企業や政党などで、中心人物が高齢化しても実権を握りつづけ、若返りが行われていない状態。
ろうがい【老害】
ソース:岩波 国語辞典 第七版 新版 – 株式会社岩波書店
自分が老いたのに気づかず(気をとめず)、まわりの若手の活躍を妨げて生ずる害悪。
▷「公害」をもじった造語。
まとめると、
が記載されています。
もしも「老人」や「年寄り」が、みんなあんなふうに迷惑なら、「老害」と同一視してもかまいません。
しかし現実には、老害じみた老人や年寄りばかりではありません。
したがって、
を同一視するのは無理があります。
高齢者や老齢者を指していうとき、「老人」と「年寄り」は特に区別する必要がありませんが、
です。
というわけで、語義がはっきりしたところでまとめに入りましょう。
まとめ:日本語が乱れている?美しい日本語で話すように?
- 「老害」は例外なく批判に値するが、「老人」や「年寄り」は必ずしも批判に値しない
- 「老害」が批判されるのは有害ゆえであり、不当な区別を指す「差別」には当たらない
- 自分個人の言動に対する批判を、老人差別や年齢差別にすり替える「老害」を許すな!
以上です。
なお、「有害でもその事実を指摘したり批判したりすることは差別」とするなら、
- 「加害者」
- 「犯罪者」
- 「詐欺師」
などもすべて差別用語になってしまう上に、そんな言葉狩りに効果はありません。
なぜなら、言葉が消えても「害」は消えませんし、消えない被害者によって「老害」に代わる別の言葉が開発されるだけだからです。
たとえば、「無能」が禁止用語になれば、「牟田口」などが代用されるだけでしょう。
人間がこれまで樹立してきた豊かな表現を思えば、その程度で済むとは思えませんが。
最後に余談ですが、本記事で取り上げた森喜朗氏は、東京五輪組織委員会会長を辞任する前に、
と、自身が老害であるなら潔く消える覚悟を謳っていました(2021年2月3日)。
ソース:森会長「邪魔な老害、粗大ごみなら掃いて」会見全文 – 東京オリンピック2020 : 日刊スポーツ – 2020年3月29日閲覧。
ところが、いざ辞任する段になると、みっともなく老害批判と老人差別を混同して憤ってみせました(2021年2月12日)。
ソース:森喜朗会長「老人も頑張ってるんですが老人が悪いかのような表現をされることも極めて不愉快」【辞任あいさつ全文】【東京五輪】 – 中日スポーツ・東京中日スポーツ – 2021年3月29日閲覧。
つまり最初から、潔く消える覚悟なんてものはなく、
に勤しんでいただけで、自分が本当に老害であるという自覚や、反省や完全の念もどこにもなかったということです。
って私は見かけるたびにうんざりします。
そして自覚も反省も改善もないから、自分から「老害」どころか「粗大ごみ」「掃いてもらえれば」などと自虐しておいて、いざ掃かれる段になると見苦しく跡を濁す。
そういう往生際の悪さが、まさしく「老害」だといわれるゆえんなのに。
また伊吹文明氏は、「日本語」に一家言あるようで、菅義偉首相が「素直におわび」と述べたことを問題視し、
と求めたそうです。
ソース:首相の謝罪文言に苦言、自民・伊吹氏「正しい日本語を」 – 日本経済新聞 – 2021年3月29日閲覧。
それはそれはご立派なお考えだとは思いますが、そんなに「正しい日本語」や「美しい日本語」がお好きなら、
の区別ぐらい、きっちりするべきだとは思いませんか?
例外なく有害な「老害」と、無害な者も含まれる「老人」や「年寄り」を同列に並べる日本語は、美しくありません。
それこそ汚い日本語であり、「乱れた日本語」です。
という悲しい現実に行き当たったところで、老害問題の解決策となりえるヒントを提示して終わります。
以下は私が以前読んだ、長沼伸一郎『現代経済学の直観的方法』にあった記述です。
現実の森林というものは、その平和的な外観とは裏腹に、太陽の光を奪い合う過酷な生存競争の場である。つまりその競争に勝って大きく育った木は、周囲の木より高い位置にたくさんの葉を茂らせて、太陽の光を独占的に吸収できる一方、下の小さな木はその陰に入ってしまって、十分な陽の光を得られなくなる。そしてある程度時間が経つと、森は勝者となった巨木で覆われて、その下は葉の陰となって昼でも暗いほどとなり、新しい若い木は育つことが難しくなる。
そのため森林は古い巨木だけが繁った状態で固定化され、新陳代謝が停止してしまうこともよく見られる。これはまさに森林の縮退なのだが、ここでしばしば大きな山火事が皮肉にもそこからの脱出を助けることがあるのである。つまり山火事がそうした古い巨木をすべて焼き払ってしまうことで、地表に一時的に陽が戻って若い苗木が育つことができるようになるというわけである。
そのため、定期的な山火事はむしろ森林の活力を維持するためにはプラスの影響がある、という見方もあるほどで、実際に森林の生態系の中には、あたかも周期的に山火事が起こることを見越して、それを前提に成り立っているようなものもあると言われる。
これは森林に限らず、多くの生物で見られることであり、一見すると安定して定常的に見える生態系でも、実際には周期的にそうした破局を繰り返すことで、長期的に見れば安定状態を作っている、という例が非常に多いのである。
ソース:現代経済学の直観的方法 – 講談社 – 著:長沼伸一郎
今回世界的に炎上しただれかさんのことが思いだされませんか?
「炎上」はしばしばネガティブなイメージで語られますが、だれにとってネガティブなのか?
本当に炎上させている人たちが悪者なのかどうかは、その都度考える必要がありそうです。
ましてや、
については、より一層批判的に見てやろうという気持ちになりますね。
もちろん本記事に瑕疵があれば、批判は歓迎します。
以上、「老害批判」と「老人差別」を明瞭に区別した清く正しく美しい記事でした。
ビジネス書大賞2020 特別賞(知的アドベンチャー部門)受賞!
わかりやすくて、おもしろくて、そして深い。
世界の状況が刻々と変わる現在、
文系理系問わず、経済を知らずに世の中を知ることはできない。
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