コミュ力とは?
- 理解
- 説明
まず相手を理解し、相手を理解したいというこちらの意図も理解してもらう。
そのために説明し、相手にも説明を求める。
双方向による理解と説明のやりとりが、コミュニケーションです。
読書中の人は「話しかけるな」と思っているか?
~学校の休み時間~
- 理解
- 説明
「理解」をするためには「説明」が必要です。
コミュニケーション能力がある方は、一瞬で気づきましたよね。
先ほどの質問は、Aさんの説明も足りていないし、「良い」の基準も不明です。
だから「わかりません」が答えになります。
では、説明を追加しましょう。
なお「書淫」に、「官能小説を読んで自慰に耽っている淫乱」的な意味はありません(孤独な自分を妄想ポルノで慰めている的な意味合いは込められるかもしれませんが)。
「書淫」とは、読書に耽ることです。
もちろん、指は本のページをめくっているだけだし、唇は黙読に釣られながら静かに呼吸しているだけですが。
Aさんは読書に耽っているため、一言も発していません。
しかし、読書に耽っているということは、
と、説明しているのかもしれません。
あるいは、
と、説明しているのかもしれません。
さて、まだ説明が足りないようです。
知りたい情報はそれじゃないんだよ、という声が聞こえてきそうですが、
会話をしないでコミュニケーションが取れるか?
- スマホの取扱説明書
- ゲームの取扱説明書
- アプリのマニュアル
「説明」はいつも不足しているし、重要な攻略情報や裏技ほど説明されません。
さらに、説明されたと思ったら、誤解を招く罠だったりします。
私は、Aさんが読んでいる本の表紙を盗み見たりはしていません。
そんなことをすれば、Aさんも気づくでしょうし、話しかけているも同然です。
というか、無言で盗み見るほうが気持ち悪いし、性質が悪いまであります。
- Aさんに、パンツの色を直接質問する
- Aさんのスカートの中身を無言で覗く
(どちらも失礼だという意見はさておき)より失礼なのは②、「無言で覗く」です。
本の表紙にも同じことがいえます。
だから私は、Aさんの読んでいる本の表紙を盗み見たりはしていないし、
「デリケートゾーン」で液晶画面であることを説明したつもりでしたが、説明不足でしたら誠にごめんなさい(このふざけた謝罪は、もちろん謝るつもりなんて毛頭ないことを説明しています)。
そして「歴史的文豪様が書いた小説」で説明したのは、Aさんの読書姿です。
漫画は読みやすいですよね。
イメージしやすいし(というか描いてあるし)、1話ごとに短く区切られていているし、途中で離脱したとしても復帰しやすい。
一方で、小説は文字だけなので、
特に、歴史的文豪様が書いた小説ともなれば、素人には読みにくい文章が普通です(プロの作家は、素人とは違う感性で文章を書くからプロなのです。そして感性が違えば、コミュニケーションもすれ違います)。
通常小説にはラノベみたいな挿絵もなければ改行も少なければ、ページ一面びっしり豊穣の女神に愛されているかのような語彙と難解なメタファーで埋め尽くされているため、一度読書を中断すれば集中力が途切れて世界観の再構築が容易ではありません。
つまり、
- 「週刊少年ジャンプ的な漫画」寄りの本
- 「歴史的文豪様が書いた小説」寄りの本
ちょっと表情や姿勢を見たぐらいで、読書中の人間が①「漫画」か②「小説」のどちらを読んでいるかなんて、わかりようがありません。
それでも、最悪を想定するなら、②「小説」です。
私がAさんに話しかけたとき、
と、強く認識されかねないのは、②「小説」だからです。
私の目的「Aさんと仲良くなりたい」を考えれば、私とAさんの関係が悪化する行為は避けたい。
したがって、私はAさんに話しかける前に、
そうして私は、ノーベル文学賞を獲りそうで獲らない感じの挙動でゆっくりと歴史をクリエイトしている作家の小説を読むようになるかもしれません。
「読書」という共通の趣味を持った仲間なら、Aさんのほうから話しかけてくれるかもしれないからです。
それで話しかけてくるのはせいぜい、だれにでもいつでも干渉できることをコミュニケーション能力だと勘違いしているような、飛び込み営業ぐらいでしょう。
飛び込み営業は、ブラック企業の歯車であると同時に、不幸の歯車でもあります。
まず、飛び込み営業自身がメンタルを病みやすく、飛び込み営業を受ける側も大半が迷惑だからです。
相手と同じ立場に立てば相手の考えがわかるか?
- 低レベルな目標(ターゲットが不特定多数)
- 高レベルな目標(意中の相手を落とすとき)
①「低レベルな目標」でしか役に立たないなら、コミュ力も低い。
②「高レベルな目標」でも達成可能なら、コミュ力も高い。
たとえば、目的が②「高レベルな目標」かつ「友好的な関係」なら、自分が狙った他者を幸せにする(少なくとも不幸にしない)のがコミュ力です。
だから、子どもへの理解がある母親なら、決してノック(説明)を怠らないでしょう。
では、Aさんへの理解を試みる私は、やはりまずは読書をするべきかもしれません。
そして、Aさんの幸不幸を……読者家の気持ちを推し量るべきかもしれません。
そういえば、小説は説明書ではないので、説明が足りなくても許されます。
その証拠に、小説の巻末には、解説文が載っていることも珍しくありません。
でもその解説文は、作者以外の人間が書いているんだし、多くは同業者(プロの小説家や作家)が解説者に選ばれることを考えれば、
まとめ:コミュニケーション能力は理解と説明!
- ひとりでごちゃごちゃ悩んでいないで、相手が読書とかをしていない時間に話しかけて、直接訊けば良い
以上です。
本記事の初期バージョンは、「理解と説明が足りないコミュ力が低い記事」というメタ視点で書かれていましたが、書き直しました(2022年)。
と思いながら、メタ視点を盾に、あまりにも稚拙で説明不足で意味不明な記事を公開していました。
過去の私がご迷惑をおかけしましたことを深くお詫びいたします。
以上、ちなみに私が本当に反省して謝罪しているのかどうかは、わかりませんよね……その人が、私に理解と説明を求め、私が理解と説明に応じない限り。